第13号 2011年 小村(こむら) 多一会長挨拶
小村会長写真
あいさつ

 還暦を過ぎて古希をも越えた。押しも押されぬ高齢者年齢を迎えたいま、痛切に感じることは、われわれと同年代の人達の訃報が相次いでいることである。 大社会やいなさ会(大社高校卒業生会)のお世話をしていると、葬送に参列する機会が多く、加えて、この春から日刊スポーツ新聞OB会会長に就任したのだから、その数はやたらに増えている。悲しい現実である。
 そういえば、ここ三、四年、縁の深かった竹田實(いなさ会幹事長・荒茅)、松田章八(旧姓桑本・玄光院)、岡本順枝(旧姓竹内・正門西)さんをはじめ、昨年だけでも顧問の園山巍(馬場)、 副会長の手銭栄吉(荒木)、常任幹事の朝日久美子(旧姓青木・上中村)さん等を次々と失い、本年1月には、かつての松江市から参加してくれた岩成卓(宮内)さんも亡くなっている。
 無事、これ名馬・・・。人間、やはり元気で即健康であらねばならないと、つくづく思う昨今である。
 さて、本日は、一年振りに皆様方の元気なお姿を拝見して、大変嬉しく思います。本年は大社町合併五十周年の佳き年と重なりました。昭和二十六といえば、日刊スポーツに入社した翌年のことであり、あれから早半世紀。 大変なる年月を刻み込んだことに気がつきます。人それぞれに歴史の流れや歩みがありますが、胸に去来するものは、やはり大きいものがあります。
 それにしても、『県立歴史博物館』の設置場所が大社町に決定したニュースは大変なる喜びでした。誘致期成同盟会長の小川峰夫氏(大社商工会長)が、地域社会の第一人者として奮闘されていることは、 一つの歴史を刻んだ功労者の一人として、この際大いに称えておきたいと思う。彼は、旧制大社中学の二年後輩であり、ともに連れだって遊んだ悪童仲間でもあった。 また彼と同期の古福康雅元議長(現大社町議会運営委員)や、遥かに後輩となる江口博晴島根県副知事、手銭長光前県会議長、 杉谷寿之助町議長らの後輩諸君の後押しがあったこともなども容易に想像できるし、いわゆる門前町生まれの『地縁学縁』の尊さを感じざるを得ない。
 縁といえば、青木幹雄自民党参議院幹事長も四年後輩。その存在感は絶大である。国政はもちろん町政にも大いに貢献して欲しいものである。
 問題は、やはり為政者である田中和彦町長の今後の政策と積極的な姿勢にあろう。さいわい進取の気鋭でもあり、やり手としての評価も高い。 市町村合併問題をはじめとする、諸難問が山積するなかで、知性と若きを駆使した手綱さばきに期待したいものである。