第16号 2004年 小村(こむら) 多一会長挨拶
小村会長写真
不優(うれいず) 不惑(まどわず) 不懼(おそれず)

 ここに掲載している色紙は、元プロ野球巨人軍監督水原茂さんから戴いた「うれいず まどわず おそれず」と書かれた、わが家の家宝である。永い間、プロ野球の仕事に携わってきたから、そのたぐいの色紙や写真、サインボールの数は多いのだが、この色紙にかける思い入れは殊のほか強い。 もう、三十年も前の話になるが、あざやかに書き終えた水原さんは、おもむろに口を開いた。「人間とは弱い生き物なんだなぁ。長い間にはいろいろ思いまどうことや、行く末を憂うことがある。 なかなかこの言葉通りにいかないものだが、『こうありたいものだ』と心に刻んでやってきたからこそ、今の私があるんだ」と前置きしながら、さらに話続けた。
  昭和九年・・・。大リーグ選抜軍である全米オールスターが来日し、日本各地で全日本軍と対戦したときのことである。日米野球の実力差はうんと開きがあり、あっという間に五連敗を喫し、舞台を富山に移した時、水原さんは先発投手に起用されたという。 一、二番打者を凡打に打ちとり、三番ベーブルースをも凡退させて三者をあっさり片付けた。ところが打者が一巡して、ルースと二度目の対決となった時、彼はものすごい形相で睨みつけてきたという。からだ全体から発する異様な気迫に引き込まれるように思わず好球を配した途端、 キーンと乾いた音がしてボールが外野スタンドで軽々とはずんでいたという。あの時のルースの目付きの鋭さと迫力の前に思わず不安感を覚え、おそれおののいたという。気持ちを動揺させたり弱気になったりした方が確実に負ける。 この体験をもとにして以後は、三つの言葉を座右銘にあらゆる問題に対処してきたという。迷わずではなく何事にも惑わされなかっと説いた水原さんの言葉に感銘し自らの信条として受け継いだ。
 思えば十七年前、近畿・大社会の設立を思い立って以来、この言葉をお手本に先頭に立って汗をかいてきた、それは一つの生活習慣のようなもので、少々ことではおそれなかったし、まどいもしなかった。むしろ楽しみながらのご奉仕だったように思う。
 お陰様で組織は固まり、比類のない親睦団体に育ってきたと自認している。こうして本日もまた皆様とご歓談する機会がやってきた。盛況であればあるほど「創ってよかった」ことを実感しているが、 その原動力は、なんといっても郷土愛に燃える人々のご賛同、役員諸氏の結束力の賜だと断言できる。今後も初心を忘れずに「不優 不惑 不懼」の言葉をかみ締めながら、運営の任に当たりたいと思う。 それは ”近畿・大社会は永遠に不滅なり” の道に通じるものと堅く信じているからである。