第18号 2006年 小村(こむら) 多一会長挨拶
小村会長写真
出雲市誕生1周年記念を迎えて

”故郷大社町” に明るい兆し・・・

 「神門通りも随分さびれたもんだね」。そんな言葉を聞く度に、なんだか申し訳がないような気がしてならない。そこで生まれ育った者のひとりとして、当然の感慨ではなかろうか。 なぜ、どうして?。過去を詮索するのは簡単だが、それを元通りの姿に取り戻そうとする努力などというものは、並大抵なものではない。ところが、その難問に敢えて挑もうとする牽引者が現れたのだから、実のところ驚いたり、喜んだりしているところである。
 救世主は、 ”いけいけどんどん” のニックネームで知られる出雲西尾市長であり、もうひとりは地元大社商工会小川峰夫会長である。 小川会長は、同じ神門通りで育った同年代の永年の友。先般、「市長の発案から、21世紀出雲神話観光大国の建設促進条約が制定されたのを受けて、大社門前町開発調査検討会議を立ち上げて、地元の振興開発にひと役買っている。 神門通りの復活にかける意欲は極めて高い」と話してくれた。
 出雲市長とは、昨年の大社会総会が初対面だったが、音に聞こえるアイデアマンで即実行力の持ち主のようである。「会報いずも」を拝見する限り、次から次へと妙案を創り出しては即実行している行動派でもある。 昨年の総会には、超ハードな日程のなかでの大阪入りだった。早朝一番機で駆け付けて、午後の一番機ではや「トンボ返り」。そのご高配に感激したものだが、私が一番関心をもっていたのは、新出雲市内における、故郷大社町の位置付けだった。 さすがに市長は、さびれるばかりの神門通りの賑わいの復活と活性化に主眼を置いて、その整備のために全力を挙げると明言。具体的には道路網の整備から駐車場の設置、温泉の活用、さらには阿国座の創設をはじめ、あらゆる観光ルートを開発したいと力説してくれた。 裏付けるように、昨年8月には「21世紀大社門前町開発調査検討会議」を設置すると、本年は、阿国座の基本的な設計をはじめ用地も出雲大社球場に決定して、整備に取り組んでいる。 また、明春には県立古代出雲歴史博物館の開館が予定されるなど、故郷は着々と復活への道を歩もうとしている。例え、その行程は、遠くて険しいものになろうとも、その緒についた姿勢、努力こそを高く評価するものである。
 われわれ近畿地区郷土会でも、本年1月、いずも会、平田会、佐田人会、多岐会、湖陵会、大社会の各会長、代表が集まり近畿出雲市会を創設した。 出雲市をふるさととする、こうした一連の動きや結集が、やがては、市全体の発展や活性化に役立てば、さいわいだと思っている昨今である。