第19号 2007年 小村(こむら) 多一会長挨拶
小村会長写真
創立20周年記念を迎えて

〜これからが本番〜

 つい先日のことである。ひとりの会員から、こんな質問を受けた。「どうして ”近畿大社会” でなくて『近畿・大社会』なんですか?」とー。 どうやらこの会員は、近畿と大社のあいだの『・』印に素直な疑問を投げ掛けてくれたようである。まことにお恥ずかしい話ではあるけれど、のちのちのために敢えてその裏話を公表することにした。 それはもうふた昔も前の昭和63年3月31日にさかのぼる。この日の発起人会で、会名を『近畿・大社会』としたのは実際に存在しなかった事例ながら、ひょっとしたら出雲に「出雲大社」が鎮座しているように、近畿にも「近畿大社」と言うおやしろがあるのかも知れない。 また『近畿大社会』では、「近畿大社会学部」と間違えられる恐れもある。そんな懸念から思い切って『・』印を挿入して、「大社会」を誇示した積もりだったのである。 ところが「近畿大社」はおろか、もともと近大には「社会学部」という学部は無かったのである。 ”しまった” と思ったときはもう遅い。えぇーままよとばかりそのまま突っ走って20年ー。晴れてこんにちを迎えたのである。
 このような経過を辿りながら誕生した『近畿・大社会』だったけれど、世のなかには良くしたもので、なんら苦情もなく、ごく自然に迎え入れられたのだから、誠に喜ばしいことでもあった。 その根幹には、細事にこだわらない「オール大社人」のおおらかさでもあったろうか。圧倒的な支持と結束力で擁護して貰ったのだから、正直なところ救われる思いがしたものである。 しかしながら、あの設立当時の煩雑さを乗り越えて、吾ながらよく頑張ったなーと思う。例えば、ほんの数人で開く予定だった発起人会に、多くの希望者が名乗りを挙げ、急遽会場を変更したりする慌ただしい最中、名簿作りに始まり、案内状の発送、役員構成に会則の作成。 さらには旧大社町役場や会場との折衝等々、寝ても覚めても組織作りに没頭する毎日、とても冷静に判断する余裕などはなかった。それもこれも近畿圏内に「ふるさと」を創りたいの執念がそうさせたと言っても過言ではない。 お陰様で発起人会には、116人もの人々が詰め掛けてくれた。久し振りの再会に、泣いて抱き合うご婦人方もいたほど盛り上がった。 予想はしていたもののこれほど皆さんに喜んでいただくとは思わなかった。そして3ヶ月後の9月25日、第1回総会と銘うって、大阪南のホテル・ドゥ・スポーツプラザに300人もの大人数を集め、改めてそのスタートを切った 独断と偏見の謗りは免れないものの、たった3ヶ月で、さらに組織を固めて突っ走ったことなどは、他の組織ではとうてい考えられないことでもあろう。こうして『近畿・大社会』は ”永遠に不滅” を合言葉に、多くの会員のよりどころとなったのである。
 われわれが目指す日本一への組織作りは、後継者問題も含めて、これからが本番ーと結んで、この稿を閉じたい。