第20号 福島 裕子 (出雲阿国顕彰会副会長)
福島裕子写真
お國さんとお國座

 チンチンドンドンチンドンドン、「顔見せだー」昭和一桁はまだ平和でした。
 「中村お國座」に芝居が掛かると、チンドン屋の先触れで役者さんの何人かが人力車に乗って町の中を練り歩かれる、あの浮き浮きするような雰囲気を懐かしく思い起こすことがあります。
 子供達は大はしゃぎで人力車を追っかけ、白塗りの役者さんの顔を不思議なものを見るように仰ぎ見、わが町に時々訪れる華のあるひとときに興奮したものです。
 その頃、大社町には二つの芝居小屋がありました。一つは江戸時代より出雲大社参道入口に「大鳥居座」というのがあり、お國さんの生家中村家が座元となって大層賑わっておりました。 大正十三年に勢溜り(参道入口周辺の広場のこと)の拡張に伴い、それは神門通に移されて「お國座」となり、芝居が掛かったり時に映画が上映されたりしておりました。
 そして、同じ大正十三年には、お國さんの生家のあった中村町内に「中村お國座」が新築されました。ですから、大正十四年に杵築町と杵築村が合併した時点で町の東西に二つの芝居小屋が存在し、いずれも結構賑わっていたと伝えられています。
 島村抱月・松井須磨子も来町し、大鳥居座では例の「カチューシャ可愛や・・・」も上映され、西の中村お國座には先代水谷八重子も来演し、それが機縁で奉納山の「於國塔」も建設されたということです。
 ところが、昭和十年代の後半、志那事変が大東亜戦争、第二次世界大戦へと拡大し、芝居どころではなくなり、東の「お國座」は映画だけとなり、西の「中村お國座」は食糧営団へと変貌してしましました。 戦争は人を殺したばかりではなく、芸術や文化の押し殺してしまい、人々はお國さんの存在すら忘れ去ってしまったのです。
 ところで、昭和が終わる頃、わが町にとって一大事が起りました。不採算路線の整理ということで、国鉄大社線の廃止が決まったからです。 これは大変!大社町の観光産業にとって大打撃、確実に衰退するであろうわが町の行く末を思い町民は悲嘆に暮れました。
 町の有志が集い、町起こしの素材を捜しました。ありました。「出雲のお國」です。戦中戦後に忘れられていた歌舞伎の始祖お國さんに蘇って貰おうというのです。
 平成元年、素人演劇「出雲阿国」を手始めに澤村藤十郎丈のお國・山三に扮しての「奉納舞い」松竹による「出雲阿国歌舞伎」と、わが町に再び喜びが戻りました。
 そして、平成十五年、合併による大出雲市誕生により、町おこしの大きな目玉として「阿國座」建設の構想が発表されました。
 関係者の喜びの反面、全国的なハコもの批判の波にも揉まれています。
 さて、今年に入って四月二十日より出雲大社の遷宮が始まり(正遷宮は五年後)町は大賑わいです。加えて昨春オープンした「古代出雲歴史博物館」の入館者も予想の倍以上を記録し、 世界遺産に登録された石見銀山からの流れも加わり、町は人の波、車の波で埋まりました。島根県が、殊に出雲がこれだけ注目されたのは未曾有のことではないでしょうか。
 加えて、今秋九月よりNHK朝のドラマに松江や出雲大社が登場する「だんだん」が放映されれば、益々出雲が注目されることは必定、 阿國座建設にこの上もなく弾みがつくというものです。今を逃したらもう永久に建たないのではないでしょうか。合併と特例債という特別な資金もあり、千載一隅のこのチャンスを逃してはならないと、関係者は熱くなっております。
 とに角反対の立場の人達とうまく折り合いをつけ、一日も早く完工するように・・・と関係者は祈っております。近畿・大社会の皆さんの熱いご支援をお願いする次第です。

リターン