第29号 川井 俊治 (朝日町)
ふるさとは遠きにありて・・・

 1972年4月、大学入学とともに大阪にやってきて45年が経ちます。大阪での生活は大社の3倍にもなろうとしています。 しかし、いまだ訛りある関西弁もどき。教え子たちには絶好の物まね対象になったようで、独特のイントネーションを真似てくれました。
 若いころは大社にさほど強い思いを持つことなく、両親の求めで年に一、二度帰省するぐらいでした。 それでも生まれ育った故郷への思いは心の奥に鎮座していたようです。 50歳ぐらいからでしょうか、静かに眠っていた思いがむくむくと顔を出してきました。 そのころ山崎さんから、突然電話がかかってきました。大社会への誘いでした。
 ところで、帰省した時に必ず食べる三大食がありますよね。私はやはり「奴のラーメン」「日真の天ぷら」「割子」です。 世の中空前のラーメンブームですが、私にとっての絶品は「奴」これに勝るラーメンはありません。 スーパーで玉ねぎ天を見つけると買い求めて食します。似て非なるものとはこのことで、「日真の天ぷら」のふくよかさと甘みは大阪の玉ねぎ天では味わえませんね。 そして「割子」にはほろ苦い思い出があります。中学3年のとき、部活の連中と自転車で出雲の、いや今市の一畑百貨店に行きました。 何階でしたか、食堂でざるそば(ちょっとカッコつけて)を注文しました。ところがしょせん大社の田舎者、割子がそばの全てです。 あるやつが当然のごとくツユをそばの上からかけてしまったのです。あとは皆さんご想像の通り。
 2010年大晦日、山陰地方は豪雪に見舞われました。山陰道が完全にストップし、1000台もの車が立ち往生した年です。 明けて2011年の正月は私の町内が吉兆さんの当番年でした。還暦を前にして是非とも先導番内をしたいと思い大阪の友人たちに吹聴していました。 そうしたら、「私たちもぜひ見たい。できたら参加したい」と大雪の中8人の大阪のオッチャン・オバチャンが大社にやってきたのです。 私はこれが最後の番内になりましたが、町内の人たちが「せっかく大阪からきとーけん、一人番内になったらえーわ」と言ってくれたのです。 一人のオッチャンが番内になることができました。この出来事は、その連中との飲み会で、今でも衝撃的な思い出として話題になっています。
 室尾犀星が「ふるさとは遠きにありて思うもの」と詠みました。 私にとっての大社は、勢溜のサーカス小屋の臭い、雪降り積もった大社中グランドでのサッカー、浴衣客賑わう行楽館(我が家の前でした)でのドジョウすくい、等々、懐かしく思い出す大社です。 それはそうです。そのほとんどが10代で故郷大社を後にしたのですから。 でも大社も変わりましたね。人がまばらだった神門通りににぎわいが戻ってきました。 テレビでも取り上げられることが多くなりました。そんな番組をうれしく見てしまう今日この頃です。

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