第8号1996年 松井(まつい) 明子(あきこ)(旧姓 尾添)
あの頃

 そろそろ新年を迎える準備に追われる頃、母が美しい刺繍の針を運んでいますー。あれは確か、どこかの町内から頼まれた吉兆さんの幟のようでした。幼い私は、飽きもせずにじ〜っと眺めていたもでした。
 そう私の心の原風景とでもいいましょうか。「吉兆さん」「番内」「大祭礼」・・・。小学生の頃は、勢溜に繰り広げられる木下サーカスや、賑やかな口上で客を呼込む見世物小屋の前で時の経つのも忘れた頃が懐かしく蘇ってまいります。 中学生ともなれば、大祭礼の後に必ず控えていた中間試験が恨めしく、威勢のいい花火の音に、ノートは見れども心は青春の入り口にさしかかったアンニュイ(倦怠感)の中に浸っていたような、不思議な気持ちになったものです。
 夏休みになりますと天神祭、灘祭り、和霊さん、大梶さん祭りなどが相ついで催され、その都度遠征したり、ハシゴをしたりの毎日で、年がら年中、お祭りのなかで明け暮れたような感じもします。 秋ともなれば献穀祭も楽しみの一つでした。外苑では家畜の共進会などがあり、近在のお百姓さんが、牛の手綱を取りながら町内を闊歩している風景などは、いまもなお記憶に新しいものがあります。 そういえば、外苑の美しい桜に誘われて、ぼんぼりに飾られた夜桜などを楽しんだ時代もありました。いまはすっかりその面影も無くなりましたが、それだけに一層帰らぬ夢を追い続けるもののようでございます。
 同じ町内にありました行楽館も、町の人々の憩いの場所でした。その行楽館で、高校の演劇部が中心となり「出雲阿国」を上演したのもいい思い出となりました。まだ、娯楽の乏しかった昭和27年のことですから、大変な人気を博し、座布団が飛んだことをなども覚えています。 これは県高文連演劇祭での演劇の一つで、松江公会堂でも上演しました。
 ちなみに阿国役は私、山三役が繁沢力さん。繁沢さんは、現在の大社会会員の一人ですが、その他にも故人となられた桜本達郎さんをはじめ、経ヶ坂(桑本)英子さん、森敏彦さん、内田(矢田)幸子さんら、多数の人々が名を連ねておられました。 また、ゲスト歌手としてのお馴染みの島路(田実)陽子さんが「夕鶴」の「つう」役で熱演されたのを覚えておられる方も多いことと思います。
 こうして綴っていくと、母なる国・大社町への追憶は、果てしないものがあります。
 特急いずもの車窓から、弥山のやまなみが、刻々と近づいて来るときの胸を締めつけられるような感動。ふるさと大社への、あの気持ちを大切に、いつまでも持ち続けたいものでございます。
 ” 亡き母の 香りほのぼの 祭鮨 ”

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