第28号 内藤 眞理 (市場)
私と大社町

 大社町を離れてより、大学・会社勤務・結婚と他県で暮らすこととなり、大社町に住んでいたのは結婚前の二年を合わせて20年あまりです。人生の長い時間にしてみればんて短い間だったのでしょう。
 選択した環境や、主人の転勤等で様々な地域に住みました。結婚後は特に米子・東京・大阪・神戸・伊丹と1〜2年、長くて3年と頻繁に住居を替えましたが、結局今の西宮名塩に住まいして22年が経ちました。 「大社町に住んだ年数を超えたね」と同郷の主人と振り返るこの頃です。子供が出来なかったこともあり私の人生の大半は仕事中心でしたので、大社に住んでいた頃を懐かしく思うゆとりもなく夢中で過ごしてきたような気がします。
 あしかけ22年勤めた会社を定年退職して4年あまり、過ぎた日々を振り返ることも多くなってきました。生まれ故郷が大社町であったのはとてもラッキーなことでした。 「出身は出雲です。」と言うだけで初対面の方にもすぐに親しみを持っていただけるからです。私のおじいさんは出雲大社教を敬い、仕事のかたわらに出雲大社に奉仕することを生きがいとした人でした。 初詣に始まり、節分、福神祭、春の大祭礼、秋の献穀祭、春・秋の皇霊祭、神在祭など一年中出雲大社の行事に忙しく、白装束で出かけたりもしていました。 あの頃の出雲大社は未だ生活の一部だったように思います。遠方より列をなして来る人々も、観光客ではなく参拝者であり、参拝者を迎えるためのたくさんの旅館や、土産物店が繁盛し、賑わった町でした。
 時が流れ、大社線も廃止となり、一時大社町もこのまま廃れてしまうのではないかと思う程寂しい時代もありましたが、この遷宮以後新たな賑わいを取り戻したのは何とも嬉しい限りです。 既に父母も亡くなり、実家の家が残るだけの大社ですが、やはりこれまでと同じようにホームタウンとしてサポートしてくれる懐かしい町に変わりはありません。 人生のレッスンを一通り終えた今振り返れば、さまざまな出来事を無事に乗り越えて来られたのもその都度排した出雲大社と、ひいては御先祖様のお蔭でしょう。

 幽世大神憐給恵給(かくりよのおおかみ あわれみたまえ めぐみたまえ)
 幸御奇御霊守給幸給(さきみたまくしみたま まもりたまえ さきわえたまえ)

 去年94歳で亡くなった叔母のように、素直に唱えられる年齢となったようです。出雲大社と近畿・大社会の末永い繁栄をお祈り致します。

リターン