第26号 尾川 滋 (旧姓嘉藤)
自慢の故郷

 高校卒業までは大社町神門南に住んでいましたが、大学生になった1970年以降は生活の拠点が関西となりました。たまの帰省の際には、近くの大正庵に割子そばの出前をよく頼んでおり、岡持ちに入ってきました。 少なくとも5段位は食べ、野焼き等をあてに好きなビルをぐいぐいやるのが定番でした。関西への土産には、出来立ての長い野焼き(普通の3本位)や俵まんじゅうが好評でした。
 仕事の関係で福井11年、東京3年、青森3年と17年連続して単身赴任でしたので、さまざまな地域の方との出会い、郷里の話をする機会が多々ありました。 島根県より出雲大社のある大社出身と説明した方が良く通じましたし、地図上の場所はとんでもなくても、縁結びの神様の所ですねと結構皆さんご存知で、また旅行経験者も多く話が弾みました。 あまり出雲弁(ズーズー弁)が出ないねと言われると、つい調子に乗って、大社は都会から参拝者が沢山来るのでとか、テレビっ子だからアナウンサーの標準語を覚えたんだとか言っていました。 その他、正月の参拝客は90万人、木下大サーカスが興行していた、コンクリート造の大鳥居は中央の額面が6畳の大きさ、神楽殿の大注連縄にコインを投げて刺さると縁起が良い、 最初の勤務地の福井県高浜町から急行大社号(出発は名古屋・金沢)に乗ってそのまま大社駅に帰った等、ついつい自慢話になりました。 実際には民放は読売系しかなく巨人の試合やプロレスを見るしかなく、アンテナを非常に高く立てても電波状態が悪く、ラジオも東京の放送を聞くことが多い、そんな環境の中で育ちましたので自然と巨人ファンになっていました。 長く関西の会社に勤め退職後の今も子会社にいますが、そこには熱狂的な阪神ファンが多く、今でも肩身の狭い思いをしています。
 最近は家内の実家がある松江に帰省していますが、墓参りに大社に行く際には必ず出雲大社に参拝し、また故郷の様子を確認していますが、コイン投げが出来ないように神楽殿の注連縄にビニールが掛けてあるのはちょっと残念です。 神門通りの参拝客の写真 平成の大遷宮もあり代表的なパワースポットとして大人気で、他府県ナンバーの車と人で溢れています。地元出身の私でさえ迂闊にも勢溜周辺で渋滞に巻き込まれてしまいました。 この辺りには町おこしで新しい店が沢山出来ており、賑やかになっており、この勢いのまま発展して欲しいと思います。
 今年2月には日本の神社(週刊誌)が発売され、創刊号が出雲大社でしたので、即買いました。伊勢神宮が2号でしたので、これもちょっとした自慢で、会社の机上に見えるように置いています。 先日「GWに出雲大社へいったよ」と先輩から声を掛けられた際に、勢溜から車が通るコンクリートの大鳥居が見えましたか、そこが生まれ育った場所で、 堀川ではよく魚釣りやてました等、つい嬉しがって力が入りました。やはり出雲大社の在る大社町は、私の自慢の故郷です。

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