第29号 酒井 良孝 (上中村)
ホームページ作成について

 千家会長から「近畿・大社会」のホームページを作って欲しいと依頼があった時、少し時間を下さいとお願いをした。実は内心無理だという思いが強く、すぐにお断りをしたら失礼だという気持ちがそういう返事になった。
 この話を幹事長の山崎素文さんに相談したら、「作るしかないでしょう」という。相談した相手が悪かったと反省するも後の祭り。
 私が近畿・大社会に出席しだしたのは四年前からで、手元にある会報を改めてじっくり読み返して見たら、そこにはふるさと大社に対する熱い思いに溢れた文字が並んでいるのが見えた。 近畿・大社会総会は、大阪の地に大社町出身者に「ふるさと大社町」を提供しているのだ。 そして、ふるさとを共有する人達がいっぱいいる。それは勇気をもたらしてくれるし、明日から頑張ろうと前向きにもなれる。 だから、近畿・大社会は熱気に包まれているのだと感じた。
 私は、人一倍ふるさとに対する思いを持っていると自認している。埼玉県に住んでいた時も帰郷は欠かさなかったし、明石に帰ってからは年に4〜5回は帰郷している。 大社で住んでいた家は更地となって、私がそこで生活していた証しは既にない。町内至る所に更地が増え、私の記憶の中にある景観は変わってきている。 しかし、更地になった我が家を訪れると、そこで確かに暮らした私が見える。奥の部屋に仏壇があって、テレビを見ながら団らんした風景が見える。 そんな自分を再認識して、明日からまた頑張って生きて、来年また帰ってくるからねと勇気を貰っている。
 変わらないものもある。稲佐の浜から見る夕日は50年前と変わらない。潮風の匂いも変わらない。人の世は変わっても自然は変わらない。ひとの記憶のなかにある風景も変わらない。それがふるさとなのかも知れない。
 今日の私があるのも、ふるさとあってのもの、そんなふるさとに私は何をしてきただろう。冗談で私たち県外に住んでいる者は、私を含めて大社を捨てたんだ、と同窓生に自虐的な意味も含めて喋ってきた。
 千家会長からのホームページ作成の依頼は、そんな私に、ふるさとへの恩返しができるチャンスを与えてくださったのだと思えるようになった。 能力の無い素人の私に出来ることは限られているけれど、恥を忍んでお受けすることにした。
 ホームページを作成するといっても、ホームページ作成ソフトは使ったことがなく、昔ながらの手づくりで進めるしかない。昔と違い、ブラウザも進化しており、様々な表現ができるようになっている。 新しいタグを調べていて、 ”ハタ” と思った。きれいに装飾して見栄えが良いだけよりも。中身が大切ではないか。 近畿地区にいる大社町出身の方たちに、どんな中身のホームページであれば喜んで頂けるのか。
 悩むなら、一度大社に帰って見ようと帰省した。今まで自分の目線でしか見なかったふるさとと違う一面が見えた。 今日の鷺浦港は穏やかでいい景色だなと見ていて、振り返って町並みに目やって気づいた。 あ、鷺浦出身の方たちは、港の景色もだが、ここから見える自分が育った我が家の見える風景、遊んだ路地裏の風景に対しての思い入れが、大きいのではないだろうか。 そう感じたとき、心の中にある「ふるさとの風景」を呼び起こすホームページにチャレンジしようと決めた。
 目標が決まりコンテンツ収集を始めた。近畿・大社会の情報は、顧問会代表の川上様、幹事長の山崎さんに提供いただき、 大社町の情報は出雲観光協会事務局長の小野さん、各小学校の教頭先生、鷺浦コミュニティーなどにお世話になった。 そして千家会長からは、厖大な資料の詰まった大社町史の本をお借りした。これをサイトにUPするには相当の時間を要するが、現在作成中の内容でご賛同いただけるなら一つ一つ公開したい。

 簡単に現在作成しているホームページを紹介すると
1.近畿・大社会
  ・会長挨拶、会則、役員構成、総会の紹介
2.会報
  ・会長挨拶、町市長挨拶、会員寄稿文、表紙編集後記
3.ふるさと大社
  ・大社町の歴史と写真、小中学校校歌や盆踊り唄、町内の大字小字名、出雲弁
 今後は、町内の神社仏閣、町内の歳時記、町内の現在の風景写真、民話、祭り、遊び、民具・・・きりがないほどたくさんある。

 自分を育んでくれた「あの時代のふるさと大社」に、還りたくても還れない。歳を重ねれば重ねるほど、思いは強くなってくる。 そんな思いの、近畿・大社会会員の、心の中にある「ふるさとの原風景」を思い起こす一助になれば幸いです。
 ホームページに対する、ご指摘、ご要望や情報など頂けますようよろしくお願いします。

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