第29号 沢田 洋子(旧姓:高橋) (川方西)
大社の思い出

 高校卒業まで荒木に住んでいました。卒業後は、兵庫県の看護学校に進学し、そのまま県内の病院に就職、結婚、子育てとずっと姫路に住んでいます。白鷺に例えられる姫路城、その城下町が終の棲家になりそうです。
 小さい頃から初詣、節分、花見、大祭礼、献穀祭と、その都度出雲大社にお参りし、広大な敷地と大きな社に馴染んできたせいでしょう、 今住んでいる近くの神社を数多回ってもその規模の小ささに落胆するばかりで、あらためて出雲大社の偉大な存在に思いを馳せるこの頃です。
 小学校の頃は紅白歌合戦を見終わると、延々と続く車の渋滞を横目に見ながら、母や伯母さんやいとこと出雲大社に歩いて参拝しました。 本殿や拝殿のあたりは初詣客でいっぱいで、母とはぐれないよう必死だったことを覚えています。
 私が荒木小学校に入学した年は、1学年50人の子供の少ない年でした。そのせいか皆仲が良く、学校が終わってからもよく一緒に遊びました。 6年生の時の担任の先生は、初日の出を拝むためにクラスの数人を、弥山登山に連れて行ってくれました。 また7月末にある旧国鉄大社駅周辺で行われる「大梶祭り」がとても楽しみで、小学校でも大梶音頭に合わせて踊っていました。 近畿・大社会で4年前に大梶踊りを踊った時、太鼓と三味線の音頭に合わせて身体が自然に動き、三つ子の魂百まで、幼い時の記憶は忘れないものだと感心しました。
 中学時代はバレー部に入っていました。放課後は毎日暗くなるまで、休日も朝早くから厳しい練習があり、この3年間は部活動の記憶しかないくらいですが、 この時培った先輩との関係、根性、体力が大人になって仕事と家庭を両立していく上で、また社会人としての基礎を築いてくれたと思います。
 大社中学校も大社高校も出雲大社の近くにあったため、よく神苑に遊びに行ったのも楽しい思い出です。 唯一無二の親友と出会ったのは高校時代で、一緒に神門通りにあった玉盛堂でパンを買ったり、夏休みの補習が終わった後、宇迦橋のたもとにある小さな店でかき氷を食べたのを懐かしく思い出します。
また、3年生の時に校舎が現在の浜山へ移転した為、机と椅子の運搬を全員で手伝った事等、先日も思い出話に花が咲きました。
 両親が荒木の実家に住んでいた時は、年に6回は帰省しご縁祭りや初詣に行っていましたが、10年前に松江に引っ越してからは年1回訪れる程度になりました。 パワースポットブームや「平成の大遷宮」で観光客が殺到し、神門通りにもおしゃれな店がどんどんできて、ますます自慢の出雲大社になりました。 出雲そばが大好きで、実家に帰った際、大梶の割子そばの出前をよく食べましたが、最近は松江でも蕎麦屋に寄って食べています。
 関西に住んで37年。根っこは出雲人で、まじめで、保守的、頼まれたらいやとは言えない性格で、根っからの関西人の夫との大きな違いを感じています。 これからも大社の思い出と出雲大社への誇りを、大切にしていきたいと思います。

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