第11号 田中(たなか) 寛一(かんいち) 副会長 鵜峠
田中寛一写真
鵜峠時代の思い出

 鵜峠には、16歳まで住んでいました。思い出といえば辛いことばかりで、楽しみなどほとんど味わったことはないというのが実感です。半農半漁だった父は、鵜峠鉱山でも働いていましたから、私はもっぱら段々畑の世話で明け暮れる毎日。 険しい山道を重たい肥を担いでの作業でしたから、細身の私には、やはりきつかったです。
 17歳のとき、今市の県立土木補導所の第一期生として入所。早朝4時半に、ふたつの弁当を持って家を出て、川跡駅での待合時間に朝食をかきこんだものです。 昭和33年に、上阪、建築関係の仕事をしながら今日に至っていますが、当時は歩くのは当たり前の時代でした。
 大社会では、鵜峠地区のお世話役ということで、副会長に推挙されました。楽しみといえば懇親会・・・。平成6年第7回総会には鵜峠から初の田中町長が誕生、地元の団体とともに来阪されて湧きかえりました。 このことを契機に、あの苦しかった鵜峠時代を、しきりに、懐かしむようにもなりました。やはり郷土は、有り難い存在ですね。
 長年に亘る無理な仕事や事故などで、腹痛に悩んでいますが、この時期になると、しゃんとするから不思議です。

リターン