第29号 浦部 利 (遥堪)
どこに居ても「遥堪」・・・そして「大社」

 平田市出身の気さくなママさんが営む小ぢんまりしたカラオケ喫茶・スナック「だんだん」。 その店は川西市の平野駅(能勢電鉄)のすぐ近くにあり、月に一度、第4月曜日の午後に、そこに足を運んでいる。 その日は、島根県人の集いの日である。店内には、出雲弁の番付表や出雲ゆかりの歌手のポスター等が貼りめぐらされ、出雲の香で一杯である。
 宴は、5・6人の常連さんたちの熱唱から始まり、ママさん手作りの美味しい料理を肴に、酒が進み、歌が続くにつれ、ボルテージは上がるに上がる。 ふるさとを語る関西なまりの出雲弁がしきりに飛び交う。それにしても島根関連の歌の多さにはいささか驚きである。 「哀愁の奥出雲」・「島根恋旅」・「神在月」・「宍道湖暮色」・「好きだから松江」・「出雲雨情」・「松江慕情」・「望郷神楽ばやし」等々。 楽しいひとときを過ごしほど良く酔いが回ってくると、いつしか私の脳裏にはふるさとの情景が浮かんでくる。 それも、決まって、就職で私が故郷を離れ、大阪に出発つ朝の遥堪駅のシーンである。
 先ほどの「哀愁の奥出雲」を歌う、清水 博正。彼は盲目の演歌歌手で、私が贔屓ひいきにしている歌い手の一人であるが、「いのちの灯り」や「夕陽の空へ」等もリリースしている。 ここでは、往時の私の心情を代弁するかのような歌「夕陽の空へ」【作詞/たか たかし、作曲/弦 哲也】の歌詞を二番まで紹介してみたい。

1:夕焼けの空遠く ふるさと想い涙ぐむ
  出発たびだつ朝の 汽車の窓から
  さよならと言ったら さよならと
  こだまがやさしく かえってきたよ
2:月日は流れ夢はるか あの山川も遠くなる
  別れた友よ みんな元気か
  帰りたい今すぐ 帰りたい
  あのひと住む町 夜汽車に乗って

 私の生家は遥堪駅の近くにある。常時、弥山さんを遠望し、一畑電車の音を聞きながら、少年時代を過ごした。 長じて、私が大阪へと出発つ朝、近所の人たち、大人も幼子もこぞって駅まで見送りに来てくれた。 その日のシーンはまるで昨日のことのように明確に覚えている。 「夕陽の空へ」とは、事情も背景も異なるものの、心情的には相通じるものがある。 清水 博正の哀切な歌調と相俟って、曲をかける度、わかっていても、涙腺が緩んできて仕方がない。 立場・年齢・事情はどうあれ、ふるさとを想う気持ちは、古今東西、老若男女を問わず、同じであろう。 古希を過ぎた今、思えば、関西での暮らしの方が田舎のそれに比べ随分と長くなったものだ。
 話を少年時代に戻す。遥堪小学校(同期生67名)を優秀な成績(?)で卒業した後、大社中学(同期生407名)・大社高校と6年の長きにわたり、遥堪駅〜大社神門駅間を一畑電車で通学した。 バタ電は、遥堪というムラから大社というマチまで運んでくれた。 「井の中の蛙」だった私に大社という「大海」を教え、成長させてくれたのが一畑電車だった。バタ電よ、永遠に・・・。

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