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堀川(神光寺川)の川遊び |
子供頃の堀川は、北山山系から流れ込む水も多く、斐伊川の水も流入していた。そのため、川底は砂で道路からは貝が見え、土手や橋から飛び込んだり、潜ったり、裸足で歩き回ることができるほどきれいな川だった。 昭和40年代の初め頃に、川の中央の仕切りがコンクリートになった。それまでは、幅が3m以上ある土の堤防のような仕切り(中土手と呼んだ)でした。一面に草花が生え、水際には木杭が打ち込んであり、葦や水草が繁茂し、藻類も豊かで魚貝、水性生物、昆虫の楽園でした。 しかし、昭和32年に使用開始された除草剤PCPは5年後には全国の田圃で使用されるようになり、その結果各地の湖沼、河川で大量の魚貝が死滅した。昭和38年に、PCPの規制が始まったが、堀川でも数えきれないほど、フナやコイ、ハヤ、ナマズ、ウナギなどが腹を上にして浮き上がり貝もいなくなってしまった。その上、広域的な上水道の普及と共に、化学洗剤を含んだ家庭からの排水が多く流れ込むようになり、川底にヘドロが堆積して魚貝の住処、昆虫の産卵の場となる藻も生えなくなってしまった。 今の堀川からは想像もつかないと思いますが、当時の堀川での子供遊びを紹介します。 |
フナ釣り 堀川には、ヘラブナ・ウグイ・オイカワ・タナゴ・ボッカ・コイ・ナマズ・タナゴ・ドジョウ・テナガエビ・メダカ・モズクガニ・ライギョなど多くの種類の魚がいた。潮が満ちた時には海の魚もたくさんいた。 <釣り竿>(ハンジェキ、ハンジキ) 近くの竹やぶで竹を取ってきて枝を払い火で炙って曲がりを直して釣り竿を作った。 <釣り糸> ヨマといっていた糸を使っていたが、やがてテグスというナイロン製の釣り糸が手に入るようになった。糸の太さは厘(リン)と呼んでいた。 <重り> 一畑電車の鉄橋のクッションの役目をしていたと思われる鉛の板があり、その板がはみ出たところを削り取り金づちでたたいて作った。やがて市販の重りも手にはいるようになった。 <餌> ミミズをエサとして使っていた。台所の排水が流れる堀や溝、古瓦や石の下など掘るといくらでもいた。缶詰の空き缶をミミズ入れに使った。 <釣り場> 神光寺橋の西側のたもとに、かまぼこ屋さんから流れ出るカマボコの洗い汁が流れ落ちる場所があり、そこが一番よく釣れた。川底が見えないくらいフナが集まり、子供たちは学校から帰ると先を争って駆けつけ、常時20人くらいがいた。 釣った魚はブリキのバケツに入れ持ち帰った。大小のフナは、素焼きにして甘露煮などで食べた。 |
ごんがり 大きな釣り針を3個三股に組合せて結んでその下に重りをつけて作ったものをごんがりと呼んだ。釣り糸の先にこのごんがりを結び、魚の群れの中に落として勢いよくしゃくり上げ、魚をひっかけて釣った。魚がわくからこそできた。 |
ウナギ釣り 梅雨から初夏にかけて夜釣りでウナギ釣りをした。エサは大きめのミミズ。ウナギ針に丸ごとミミズをつけて川に投げ込み、手ごろな細い棒の先に鈴をつけ釣り糸をその棒の先端につけ、ウナギが食いつくと鈴がなるように仕掛けて、鈴がなるのを待つという釣り方だった。この釣り方でウナギもナマズも釣れた。 ウナギはまな板に乗せ古新聞で押さえてキリやクギで頭(目)を打ち背割りをして中骨などを取り除き、七輪でかば焼きにして食べた。 |
エビ釣り 釣り糸の先にミミズを結んだり、針につけ、水中の石垣にへばり付いているエビの前にそっとおろす。ミミズに食いつくと挟んだミミズをエビが離さないようにゆっくり引き上げて釣った。 |
掴み獲り 魚がいそうな藻のところへそっと近づき、両手で藻ごと掴みとりをした。コツを覚えると意外と簡単に摑まえることができた。 |
伏せカゴ 直径60センチくらいの背負い籠の底を切って筒状にしたものを魚がいそうなところに一気にかぶせるてとった。筒状の中に入っている魚は両手で摑まえた。フナが面白いように獲れた。 |
すくい取り ざるを藻の中や土手の水草の中に入れ藻ごとすくい獲った。小魚やクロッコといわれる5~10センチくらいの糸ウナギも獲れた。 |
ポッポ ウナギが穴を好む性質を利用した漁法。節を繰り抜いた竹で、直径6~9センチくらいで長さ60~70センチくらいで切ったポッポを作る。川の流れに沿って浮かないように石で押さえ川底に沈める。翌日、ポッポの両端を手で塞ぎ引き上げる。ウナギが入っているかとワクワクしながら引き上げた。ナマズもよく獲れた。 |
せん 縄文時代から使われていたというウナギを捕獲する道具で、「もんどり」といっていた。丁度、一升瓶のような形に、竹を割って外側を内側にして編んで作る。入ったらでられないように先を結び、入口はロート状の蓋をする。魚のアラやサナギなどを中に入れ川底に沈めて置く。翌日引き上げ蓋を外しタモの中にウナギを移すと多い時は2~3匹入っていることもあった。 |
穴釣り 割りばしくらいの太さの竹や木の先につけたウナギ針にミミズをつけてウナギがいそうな石垣の隙間にそっと差し込む。そっと引き上げる時、ウナギが食いついている感触があると一気に引き上げる。ためらうとウナギが石垣の隙間にへばり付き引き上げられなくなった。 |
魚突き 三本股のヤス(銛)を鍛冶屋で作ってもらい、竹の先に差し込んで針金で固定し、手元の橋にゴムをつけゴムを伸ばし、ゴムの反動で魚を突いた。川舟からフナを狙って突いた。 |
貝とり シジミ、カラス貝(ヌマガイ)、タニシが採れた。 ・シジミはみそ汁にした。 ・カラス貝は、茹でてから身を出して洗い千切りにして砂糖と醤油で煮込んだ。身は硬かった。 ・タニシは殻を叩いて割り、身を取り出し水洗いして5~6個竹串に刺した。七輪で砂糖醤油で付け焼きで食べた。非常に美味で今でもハッキリ覚えている。 |
モズクガニ獲り 夏の終わりから秋にかけて、円筒形の竹かごの底にカニが入る大きさの穴をあけ、一方の金網の蓋は取り外せるように取り付けます。魚のアラと竹かごが浮かないように石を入れ川底に浮くように仕掛けた。茹でたカニは美味しく、特にカニみそは美味かった。 カエルを糸の先に縛り、カニのいそうな石垣の前に沈めカニが食いついたら、しずかに引き上げタモで掬って獲ったこともある。 |
食用ガエル捕り 夜になるとブォーブォーと低く響くように鳴くカエルをウシガエルと呼んでいました。用心深くすぐに逃げる。ミミズをつけて釣ったり、葦や水草の周辺でタモで掬って捕まえた。 子供は両手で持つほど大きなカエルで、皮をはぎ足を骨付きのまま砂糖醤油をつけ七輪で焼いて食べた。淡泊な味で鶏のもも肉のようでした。 |
トンボ捕り オニヤンマ、ギンヤンマ、ウチワヤンマ、ムギワラトンボ、イトトンボ、赤トンボ、ハグロトンボなど多くのトンボがいた。夕方、コバエなど小さな虫が飛び交うとどこからともなくヤンマが飛んできた。特にオニヤンマは人気で捕獲するとみんなに自慢した。目が緑で黒地に黄色の縦じまがあり王者の風格があった。ギンヤンマは緑の胴に空色の奇麗なトンボだった。 <トリモチで捕る> モチノキの皮を、石で叩くとネバネバしてくる。それを竹の先につけ、止まっているトンボにそっと忍び寄って接着してとった。 <タモで捕る> 小枝や葉に止まっているトンボを横から近づきトンボの後ろからタモを伏せるようにして捕る。またトンボが飛んで逃げるのを見越して、トンボのちょっと上をタモで横に払うようにして捕ったりもした。 飛んでいるトンボは、正面から向かってきたトンボが頭の上を通過するとき、トンボの後ろからタモで素早く掬って捕ることもあった。 <糸で捕る> 20センチくらいの長さの糸の両端に小石をつけ、トンボの群れの中に糸が張った状態で回転するように放り投げる。するとトンボに巻き付いて落ちてきた。ヤンマ類はこの方法で捕まえた。小石を銀紙にくるんで虫と思わせ、ヤンマが飛んでくると飛び少し先に放り投げ捕まえた。 <おとりで捕る> ギンヤンマのメスが取れた時、羽と羽の間の胴にテグスや裁縫で使う細い糸で結び50~60センチの反対側を小竹の先端に結びつける。「オーンジョオンジョ アーブラメンタにつーいてこい」と歌いながらその小竹を頭上でメスのギンヤンマを飛ばしながらゆっくりと回す。するとオスのギンヤンマがメスにさばりついたところを捕まえる。 |
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