日御碕神社と摂社・末社を紹介するサイトです。
神 話 の 出 雲 国・大 社 町

日御碕神社と摂社・末社

日御碕神社  写真 出雲市大社町大字日御碕
この宮は日沉ひしずみ宮(下の宮)とかむの宮(上の宮)から成り立っている。
・主祭神 日沉宮 天照大神
     神の宮 須佐之男命
・配祀神 日沉宮 正哉まさか吾勝勝速日あかつかちはやひ天忍穂耳あめのおしみみ命・天忍穂日命・天津彦根命・いく津彦根命・熊野櫲樟くす日命
     神の宮 田心たごり姫命・湍津たぎつ姫命・市杵島いちきしま姫命
・本 殿 社殿十四棟一括重要文化財
 神の宮 入母屋造 間口5.673米 奥行5.106米
 日沉宮 入母屋造 間口9.696米 奥行9.090米
・由 緒 「日沉宮」 社伝によると、須佐之男命の御子、雨葺根あめのふきね命が御碕の浜(青江の浜)に出かけた時、経島ふみしま百枝ももえの松に瑞光が輝いて天照大神の神託があったので、この島に大神を奉斎したという。 開化天皇二年島の上に神殿を築いた。これが「出雲風土記」に載る百枝えにす社であるという。天歴二年(947)村上天皇の勅命によって、現在の社地に移転したと伝える。
・「神の宮」 社伝によると、須佐之男命が出雲国の国土経営を終えたのち、根の国に渡り、能成峯に登り、柏の葉をもって占いをし、「吾が神魂みたまは、この葉の止まる所に住まん」といって投げられた。 そして、柏の葉は神社背後の「隠ヶ丘かくれがおか」に止まった。よって天葺根命はこの地を須佐之男命の鎮まる場所として奉斎した。 安寧天皇十三年、勅命によって現在地に移したという。これが「出雲風土記」に載る美佐伎社、延喜式内社の御碕神社である。 村上天皇の勅命によって、現在地に移転し、日沉宮とあわせて日御碕大神宮と称せられたという。
 明治維新後、社格制度により国幣小社に列せられ、日御碕神社と称した。
 社殿の造営は、徳川時代に至るまでに二十数度に及ぶといわれるが、現在の社殿は寛永二十一年(1644)、三代将軍家光の命によって造営されたもので、当地方に珍しい権現造。 両社本殿内陣の天井の壁画は、狩野派、土佐流の画匠の筆になり、華麗荘厳である。
日沉宮の写真日御碕神社 日沉宮 神の宮の写真日御碕神社 神の宮
日沉宮内殿の写真日沉宮(下の宮)内殿 日御碕神社社殿の写真日御碕神社社殿(重要文化財)

 神社の境内にある小さな社は摂社せっしゃ末社まっしゃといいます。摂社、末社も本社に附属する神社ですが、現在では特に両者を区分する規定はなく、本社の管理下にある小規模神社の呼称として用いられています。
 戦前の旧官国幣社(かんこくへいしゃ)においては、摂社と末社を区分する基準が設けられました。摂社に該当する条件として、まず本社御祭神の荒魂(あらみたま)や后神・御子神を祀った社のほか、御祭神と関係のある神や現社地の地主神(じぬしがみ)など特別な由緒がある社となっていました。こうした基準に当てはまらないのが末社であり、摂社は末社より上位に置かれていました。
 現在でも摂社・末社の呼称は、戦前の基準による区分をそのまま用いていることがありますが、特に本社との由緒の深い神社には摂社の呼称が用いられています。摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境外社といった区分もできます。

日御碕神社境内の摂社と末社 境内社
摂 社
荒神神社 速荒雄命
摂 社
宗像神社 田心姫命
摂 社
立花社 伊弉諾命 もと宇龍の字立花にあったが、安政元年(1854)境内に移す。明治十年摂社となる。
末 社
韓国神社 須佐之男命・五十猛命 もと日御碕字秘台原にあった。
末 社
日和碕神社 大市姫命 もと字日和碕にあった。
末 社
秘臺社 日神荒魂 もと字秘台原にあった。
末 社
曽能若姫社 曽能若姫命 もと字中山にあった。
末 社
意保美社 意美豆努命 もと字御座おわしにあった。
末 社
大山祇社 大山祇命・磐庁姫命 もと字幸神山にあった。
末 社
波知社 須世裡姫命 もと字峰ヶ巣にあった。
末 社
大土社 大土神 もと字一里塚にあった。
末 社
中津社 磐土命・赤土命・底土命 もと宇竜の字中頬にあった。
末 社
加賀社 天照大神 もと宇竜の字東町にあった。
末 社
宇賀社 倉稲魂うかのみたま神 もと宇竜の字東町にあった。
末 社
窟社 稚日女命 もと字大奈良山にあった。
末 社
真野社 近江国諸神 もと字秘大原にあった。
末 社
大野社 出雲国諸神 もと字秘大原にあった。
末 社
間社 稲田姫命・脚摩乳命・手摩乳命 もと宇竜の字東町にあった。
末 社
坂戸神社 道返ちがえし大神 もと字坂道にあった。安政元年・旧藩土木係の照会により合祀した。
末 社
大歳社 大歳神・奥津彦神・奥津姫神 もと目井浦にあったが、明治七年蛭児えびす社に合祀した。
末 社
若宮 手力男命・大玉命・児屋根命 もと神事山にあったが、明治七年蛭児社に合祀した。
末 社
八幡社 足仲彦命・誉田別命・息長足姫命
末 社
蛭児社 蛭児命
末 社
御井社 天村雲命
末 社
荒祭宮 速荒雄命
末 社
稲荷社 土祖神・大己貴命・倉稲魂命 明治五年焼失後、蛭児社に合祀したが、明治十七年再築した。
末 社
門客人社 奇磐窓神・豊磐窓神



日御碕神社境外の摂社と末社 境外社
摂 社
経島ふみしま神社 天照大神・天葦根命・天羽明玉命・大己貴命 社伝によると日沉宮がこの島にあったが天暦二年(948)現在地に移されたので、 その後に小祠を建てたのがこの宮という。
摂 社
林神社 天葦根命・天羽明玉命・五十猛命 宇竜の字新町にある。 「出雲風土記」出雲郡の条に記載する不在神祇官社の御前社みさきのやしろに比定する説もあるが定かではない。
末 社
百枝松ももえまつ 天照大神
末 社
立虫社 少童神 字秘台原に鎮座。明治七年日御碕神社の境内社、宗像神社に合祀したが、明治十二年復旧した。
末 社
隠ヶ丘廟社 須佐之男命 字秘台原に鎮座。上古、神の宮(上の宮)の社殿があったが、現在地に移った。旧蹟を祀ったもので、社殿はない。
末 社
月読神社 月夜見命・高皇産霊命 日御碕字薦沢に鎮座。
末 社
推恵すいけい神社 尊俊道たかとしじ命・清操辺すがみさべ命 延宝元年(1673)小野尊俊罪を得て隠岐に流され、同六年配所において没した。 享保十九年(1734)藩主松平宣維は、尊俊慰霊のために隠岐海士郡(海士町)・島根郡市成(松江市)そして此処薦沢の三所に社を建て、寛政元年(1789)推恵大明神の号を与えた。
末 社
荒魂社 須佐之男命
末 社
熊野社 伊弉冊命・事解男命・速玉男命 宇竜の権現島(蓬莱島)に鎮座。毎年旧暦正月五日の和布刈めかり神事は有名である。
末 社
日吉社 大己貴命
末 社
貴船社 高龗たかおかみ神闇龗神くらおかみ 宇竜の字東町に鎮座。
末 社
ちまた 猿田彦命・天鈿女あめのうずめ
末 社
水門社 速秋津姫命 古来、日御碕字黒田に鎮座。



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