第21号 1999年  川上(かわかみ) 雅弘(まさひろ)会長代行挨拶
今年の近畿・大社会

 今年の近畿・大社会の春は、創立以来今日の隆盛の時代を築きあげてこられた小村会長の急病の知らせという春雷ならぬ ”青天の霹靂” に揺り起こされてはじまりました。
 これまで毎朝のウォーキングや健康診断の受診など人一倍健康に留意して、各種団体の責任者として幅広く活躍してこられた会長の急病です。 このところ小康を保ちながら回復に向かわれていると聞き及んでおりますが、一日も早いご本復をお祈りしている次第です。
 知らせのあった三月中旬、足元を見れば、すでに二月の顧問会・幹事会で会長から今年の総会・懇親会の開催期日や概略構想が示されてしましたが、あまり日にちの猶予も許されないという認識のもとに、 会長不在の中でもここは粛々と諸準備を取り進めなければならないと考え、3月28日、五役による臨時役員会を開き、例年通り開催することの意識統一を行いました。 前年度収支の決算と今期予算の策定、開場設営、案内状の送付、会報の改訂、広告の依頼、物品購入計画、出雲市をはじめとして関係先との連絡、折衝など分担を取り決め、相互の「報・連・相」(報告・連絡・相談)を合言葉にして取り進めることと致しました。 4月末の顧問・幹事会を経て案内状の送付の段取りも行い、開催に向けての準備段階も第2ステップに入りました。この間、特に出雲市所管部署、地域振興部自治振興課定住支援センターの懇切なご指導とご高配、関係先の暖かい励ましとご支援により、開催に漕ぎつけることができた次第であります。 それにしましても今回の準備作業を通じて、これまでの会長の一方ならぬご尽力と献身的な奉仕精神に思いをいたし、改めて感服、感謝の念を新たにしております。 それと同時に、故郷・大社町の縁で繋がる者同士の集いを継続していくという想いが、例年以上に盛り上がりを見せたと思っております。
 ここに一つ、思いがけない素晴らしい話題があります。先の大戦末期に大阪から集団疎開児童として大社町へ来られていた方々との触れ合いが始まったことです。 齢七十半ばに達した元 ”児童” の方々が大社町を訪問されるという5月25日付の朝日新聞夕刊の記事を機縁に、当時の宿泊所で、今回も宿泊された竹野屋旅館の館主・竹内繁蔵氏の仲介で代表の方と西宮市でお会いすることができました。 私と丁度、同年代で学年も重なっており、共通の思い出もあり、話も弾んで総会にも参加していただくことになりました。 近畿・大社会の創立の趣旨が一段と輝くことになり、縁の輪も広がり喜ばしいことと思っております。
 近畿・大社会の灯りを絶やさないよう皆で大事にしていきましょう。