第30号 小林 等
大社との ”ご縁”

 出雲市の西部、神西沖町で生まれ育ち18年、大社高校を1987年に卒業し就職で奈良市に16年、現在は京都府木津川市に住んで15年になります。
神西湖紹介記事
神西湖
 生まれ育った神西には神西湖という周囲5km程の湖があり、子供の頃はよく魚釣りに行き、フナ・鯉・手長エビなどを釣って遊んだことを覚えています。また、宍道湖と同様に汽水湖でヤマトシジミの産地でもありそのシジミは宍道湖産と比べて粒が大きく味も美味しいと評価されています。地元のスーパーで販売されていますので一度ご賞味されてはいかがでしょうか。最近知った事ですが神西湖は出雲風土記にも登場し、その南端には須佐之男命の御子で、のちの大国主命の「妃」となられた須世理姫生誕の地と言われ産湯をつかわれた史跡(岩坪)があります。神西の地名は大国主命の神在、あるいは須世理姫の神妻から由来しているという事で小さい頃から既に大社とのご縁が始まっていた様です。
 小学生の頃は大晦日に家族で父の軽自動車に乗って出雲大社へ参拝し、中学生になると友達と自転車で参拝していました。大社高校に入学して野球部に入ると毎年元旦は出雲大社までランニング、参拝して帰ってくるのが練習の一つでした。拝殿や本殿周辺は初詣の客でいつもいっぱいでした。最近では「平成の大遷宮」や山陰道が出雲インターまで開通した事もあり連休で帰省する度に国道431号線が長浜の方まで混雑していて参拝は敬遠気味になっています。
 高校は大社に行くか出雲商業に行くか迷っていた時期もありましたが小学校低学年の時の担任の先生(偶然にも入学時の大社高校野球部監督の奥様)が、私の記憶には無かったのですが「小林君は大社高校に行って野球するって言っちょったよっ」と言われたのを思い出した事や小学校・中学校とやってきた野球を続けたい、野球をするなら大社との思いから大社高校に入学しました。野球部は入学前の説明会の翌日から練習が始まり中学校時代とは比べものにならない厳しい練習でした。グランド裏の浜山ランニングからダッシュ、ベースランニングの様な走る練習は特に嫌で毎日疲れ果てていました。1年生の頃はノックの補助やバッティング練習の補助をしていた様に思います。先輩・後輩の上下関係も厳しくどこで会っても大きな声で挨拶しろと言われ学校以外では会いたくないなぁと思っていました。2年生の夏の県大会は1回戦が強豪の浜田高校との対戦で、勝った方が甲子園だ、事実上の決勝戦だと皆が言っていました。1回戦を1−0で勝利し順調に勝ち進み、決勝戦では浜田商業高校の佐々岡投手(のちの広島東洋カープ)のキレのある投球に打ち勝ち、見事甲子園出場を果たしました(私はスタンドでの応援でしたが・・・)。3年生になってもレギュラー獲得はできず夏の大会も2回戦で敗退し、大社高校での野球は終わりましたが大社高校で3年間過ごした事で更に大社とのご縁が深まりました。
 夏の県大会が終わると進路を決めなければならなく、県外への就職を希望していた私は就職指導の先生の勧めで金魚の町として知られる奈良県大和郡山市にある食品会社の工場に就職しました。転勤もなく勤続30年以上が経過しすっかりベテラン社員となっています。現在は仕事で得た知識や技能を後進へ指導する事にも力を入れています。
 勤務地の大和郡山市の南東にある桜井市は大社町時代より友好都市としての交流がありかつて出雲(大社?)から移住した人が旧地域名を付けて住んだという説があります。奈良に来ても大社とのご縁を感じています。
帰省時の車に雪が積もった写真
GW帰省時、雪が降りました
 関西に住み始めて30年以上が経過していますが地元の事は気になりゴールデンウィークやお盆休み、年末年始には帰省して大社高校前の道路を通り野球部の練習風景を覗いたりもしています。
 数年前に近畿・大社会から突然案内が届き「何で?」と思っていましたが、大社出身に限らず大社にご縁のある方という事で出席させて頂いています。皆さん優しい方ばかりで親交を深め、今では毎年行われる会を楽しみにしています。大社とのご縁に感謝!

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