第12号 藤木(ふじき) 光男(みつお) 顧問 四ツ角
藤木光男写真
猪目遺跡発掘の思い出

 故郷で一番の思い出といえば、終戦直後に猪目洞窟遺跡を発見したことです。先輩につれられて何日も通ううちに遺物(人骨、土器類、丸木舟)等が出土、拙宅に持ち帰り一年以上も保管、寝起きを共にしたことです。 これは風土記の宇賀郡の条に黄泉の穴として記載されています。
 特に貝輪着装人骨には南海産ゴボウラ製貝輪がはめられており、その人物が呪者であり村長的存在だったともいわれ、皇国史観で育った者には大きな喜びでした。
 出雲は、斐川町荒神谷の銅剣、銅矛や加茂町の銅鐸の大量発見をはじめ、先般の出雲大社境内から巨木三本を束ねた直径三米の高層建築の実在が裏付けられるなど、出雲周辺の遺跡発見は、いまや全国注視の的となっています。
 さらに江戸時代の出雲大社の社務日誌によれば、真名井命社から銅()一本の採掘に続いて四本も出土したことや、最前期弥生土器で有名な原山遺跡からは、堀川造成の際に土器が出土したことも記されています。
 我々の故郷は日本古代文明の開化地であり、原郷でもあります。そして出雲大社が、常に中心的な役割を果たしてきた史実に、大いに誇りを感じて戴きたいと思います。

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