阿国顕彰会副会長 福島(ふくしま) 裕子(ひろこ)
よみがえる出雲阿国(いずものおくに)

 チンチンドンドン・チンチンドンドン・チンドン屋の賑やかなお囃子の後に、人力車に乗った白塗りの役者の顔があって、子供心にも何となく浮き浮きしたのももう半世紀以上も前のこと、下中村に芝居小屋があった頃のことです。
 さて、平成元年五月三十一日、その昔のちゃちな顔見せとはスケールの異なる歌舞伎の大練りがわが町で展開されました。”お練り”とは、歌舞伎の成功を祈願するためのパレードのことです。
 風薫る好季節、空は雲一つもない上天気でした。JR大社駅を出発した大パレードは、駅通りから出雲大社参道入り口までの直線道路一キロメートルばかりを練り歩くのです。
 町民や近郷近在から駆けつけた人達、遠来の観光客、小・中学生などで沿道はびっしり埋まり、数百人に及ぶ華やかな行列には、両側からひっきりなしに紙吹雪が舞います。 婦人会や小学生の阿国踊りに囲まれて、人力車には歌舞伎役者の中村富十郎・澤村藤十郎・市川団十郎・坂東三津五郎の四大名優が満面に笑みを浮かべ、沿道の人々と握手を交わしながら、ゆるゆると進みます。
 お練りの後、出雲大社境内に於いては、藤十郎による奉納舞があり、この未曽有の大イベントに街中は沸き上がりました。
 歌舞伎の始祖「出雲阿国」の生誕地で歌舞伎を・・・という役者さん達の願いと、阿国を活かした町づくりを・・・という町民の思いが一致して、この日を迎えたのです。
 しかし、阿国さんの生地(下中村)近くにあった芝居小屋は、第二次世界大戦中に閉鎖されて食糧配給所と化し、現在はかまぼこ工場にと、昔日の面影を失ってしまし、 せっかくの阿国の里帰り公園と銘打っても、お隣の出雲市民会館で公演せねばならぬ悔しさを、関係者は骨身に沁みて感じました。
 歌舞伎の始祖の生まれ故郷で歌舞伎の公演を・・・、悲願とも言うべき歌舞伎座の建設は、厖大な資金を要するゆえ、一朝一夕にできることではありませんが、町民の願いの一日も早く実現することを祈らずにはいられません。
 今春、こんぴら歌舞伎のお練りに参加しましたが、琴平町には江戸時代からの「金丸座」という芝居小屋が健在で、お練りの盛り上がりはすばらしく、お練りと公演の一体感を誠に羨ましく思いました。
 瀬戸大橋の開通が大きな力になっているのはもとろんですが、歌舞伎による町おこしは大成功で、人口一万二千人ばかりの町が蘇生し、以前にも増して活気づいているのです。
 この秋、わが町では第四回目の大練りが予定されていますが、わが町で歌舞伎が演じられる日にこそ、本当の意味で、阿国さんは故郷に蘇るのではないでしょうか。

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