第27号 春木 実 (赤塚)
ふるさとのぬくもり

 国鉄出雲市駅で大社線に乗り換える。
 出雲高松駅、荒茅駅を過ぎ、大社駅が近付いて来ると右側車窓に弥山の山なみが広がってきたー。

   汽車の窓 はるかに北に ふるさとの
     山見え来れば 襟を正すも
   ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし
     ふるさとの山は ありがたきかな

 自然と石川啄木の歌が浮かび、ああ、今年もふるさと大社へ帰ってきたんだなあと万感胸に迫るものが・・・。近畿・大社会の皆さん、ふるさとを離れてからたまに帰郷した時、このような感慨にふけった覚えはありませんか。
大社駅就職見送りの写真  昭和34年3月、大社中学校を卒業した私は、就職への道を選択して海上自衛隊生徒ー通称「海の自衛隊」に入隊しました。 国防という高邁な志に燃えてというより、衣食住つき手取り月給4700円程貰えて高校通信教育制度ありの待遇にひかれたというのが本音でした。 当時、鉄工所や紡績工場に就職した集団就職生の大半が月給3000〜4000円位でしたので毎月の給料から3000円を両親に仕送りすることができた私の待遇は恵まれていた方だと思います。 厳しい訓練の毎日でしたので盆正月の休暇帰省が何よりの楽しみでした。国鉄大社線を利用して帰るふるさとのぬくもりは身にしみこみ心を癒してくれました。
 18才の春、抑え難い普通の学生生活への憧れから、自衛隊を退め大阪で働きながら定時制高校、夜間大学で学び、そして何度も苦杯をなめさせられた司法試験に合格、弁護士になり現在に至っています。
 ふるさとを離れて56年になりましたが、ふるさと大社は誇りであり、永遠不滅であって欲しいと願う心に変わりはありません。 ただ、大社線も廃止となり、両親も既に亡くなり、親しかった友人知人の逝去も目につくようになった今日この頃、たまに帰郷しても以前のように心をふるわせることが少なくなりました。 心をふるわせて帰郷した若き日々の「ふるさとのぬくもり」は、歴史と自然豊かな風土に併せて、今は亡き両親や親しい人々の存在があったからこそとしみじみ感じます。 近畿・大社会総会で歌う「ふるさと」も一番で自然を懐かしみ、二番で親しい身を案じています。やはりふさとは合わせて一つです。懐かしい風景と・・・私にそれを運んでくれる魔法の呪文は、中学時代に合唱したこの歌です。

   雪の降る町を 雪の降る町を
    想い出だけが 通り過ぎて行く
   雪の降る町を 遠い国から落ちて来る
    この想い出を この想い出を いつの日か 包まん
   あたたかき 幸せのほほえみ

弥山さん遠景

リターン