顧問会代表 川上(かわかみ) 雅弘(まさひろ)(市場)
追 憶

 若月宏之君との最初の出逢いはどこだったのだろう。そうだ甲子園!昭和35年夏、彼はもちろんマウンド上、こちらは応援席。 その当時、勤務していた近くの会社の独身寮から応援に行った時のことだ。 大社駅構内を颯爽と歩かれていたのを見かけたのもその頃か。 その後、近畿・大社会や近畿いなさ会で長い付き合いとなった。 若月君の次兄克彦君が高校4期同級生だったことも何かの縁だろう。 大社会での長いお付き合いの中、今心に浮かんでくる情景を思い出すままに綴ってみよう。
 まず、近畿・大社会創立25周年記念に作成した江戸時代後期天保年間の杵築の街並みおよびその周辺を描いた「天保杵築惣絵図」(複製画)。 平成23年、当時幹事長をしてもらっていた若月君と一緒に会報に広告を出していただいていた古代歴史博物館へお礼にいった祭に、 二人とも足を止めて『これいいね』と顔を見合わせたのが、前記の絵図(写真拡大版)の前だった。 写真原版データは千家国造家、つまり宮司様のご所蔵とのこと。 若月君が宮司様と同期で、しかも宮内町内出身であることから個人的にも特に親しい間柄の中で貸与をお願いしてもらった。 原版データを元に縮小版を作成し会員各位をはじめ関係先に配布し、その評判は上々であった。 思い切って多数作成したのも同君の提案であったことを付け加えておきたい。
 この頃、小生が近畿・大社会と近畿いなさ会会長を兼務しており、後任はそれまでの経緯を顧み、会長を別々に選任しようと決心し、まず大社会の方を若月君にお願いすることにした。 2人きりで問題を話し合い、出雲大社遷宮が迫っていることも含めて懇願し、平成25年総会で新会長に就任していただいた。 会の雰囲気も明るく活発になったように感じられ、ほっとした思いであったが、27年夏、入院治療されるとのことで関係者一同、驚きを隠し得なかった。 10月、訃報が届き驚きと悲嘆は頂点に達した。 あまりの早さに痛恨の気持ちは変わらず続いている。

 ※決断力、積極果敢
 ※会運営の諸データの作成などでうかがえる綿密さ
 ※諸案件の迅速処理に見られる集中力
 ※会員、関係先への思いやりにみられる気配り

 彼の優れた特質をいくつも思いつく。実に得がたい人を失ったとの思いが深い。
 ここに拙文ながら追憶のことばとしたい。

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