第24号 北 ちづる (四ツ角)
大社と父と私

 「人生にはチャンスが幾度かある。掴むかどうかは自分自身なのだ」と以前父から聞いたような気がする。「幸せの国ブータンに行かないか」と誘われた時がまさにチャンスだった!  今しか行けないと思った。全ての条件が揃っていたから(暇と金があるから行けるんやの世間の批評)ではない。
 1999年3月25日から2週間のブータンからインドへの旅だった。確かあの時は年度末で、たまたま仕事が空いていたことと、アーユルヴェーダの勉強に行くと、家族を説き伏せたこと、そして何とかお金の工面ができたので実行できたのだった。 振り返ってみれば、ブータン訪問は、21世紀を前向きに生きる私の原動力になっているような気がする。 人生において折に触れ的確な助言をしてれた父は、昨年11月に亡くなったが、大社で生まれ育ち、こよなく大社を愛し最期まで大社にこだわった人だった。 父の在職中は、四ツ角から離れず通える範囲の勤務先を選んでいたと聞く。幼い頃の私は、仕事好きな父にかまってもらおうとよく仕事場に行ったものだ。 遥堪小学校勤務の時には、宿直の折りに父の通勤バイクのハンドルとサドルの間のガソリンタンクにまたがって幾度かついて行った記憶がある。 弥山の頂から吹き下ろす澄み切った神がかりの風が、ついじ松に囲まれた屋根をつたい、田んぼの稲穂を揺らし、温かい父の胸を背もたれにしている私の頬を突き抜けていった。 その時の爽快感は私の五感を鋭ぎすます原点になったように思う。そしてブータンに降り立った時、目にした原風景が、先の記憶を甦らせたのだった。 ヒマラヤの高峰チョモラリ(7314m)から吹く風は、バロの街の山々から巨大寺院ゾンを抜け、木々で囲まれた木造の家、そして田んぼを吹き抜け、さらには私の心をも突き抜けていった。 自分の故郷を懐かしむと言うよりも、日々の都会の雑踏にもまれ忘れていた五感を鋭ぎすまし無になること、そしてそれが今のあるがままの自分を受け入れ前向きに生きることの意味を改めて再認識したものだ。 大好きだった父が最期に母や姉、そして私一人ずつに「ありがとう」と言ってあの世に旅立ったことは、娘としてこの上なく尊敬する瞬間だったし、 大社の水と空気全てがこの人間をつくってきたと思うとより一層感慨深いものがある。父との想い出を通し、その地にいてわからない大社の良さを益々色々な人に話してあげたいと思う今日この頃である。

ブータンの写真

リターン