第22号 奥村 誠一 (西宮市)
縁 (ゆかり・つづきあい・関係 =広辞苑=)

 第23回近畿・大社会総会に、第22回に引き続き出席させていただき光栄かつ無上の喜びを感じています。不思議なご縁です。
ー65年前の昭和19年9月ー
 私達の住む大阪市西区内の国民学校14校は、全て島根県内に集団疎開をしました。(これが ”縁” の始まり)疎開学童たちに寂しい思いをさせないように努められた大社町の人々の温情忘れ難く、 昭和50年(疎開から30年目)、お世話になった「竹野家旅館」を訪れ、館主ご夫妻、食事のお世話で苦労された方、当時の大社東国民学校の先生方をお招きして私たち学年の同窓会を行いました。 その後、平成7年と続き、平成21年には、疎開当時の「竹野家旅館」女将と、食事を受け持って頂いた方のお墓参りを兼ね、数少なくなった同級生と、第2の故郷大社町で最後の同窓会を開きました。 翌朝、「竹野家旅館」社長から、「帰阪後、電話をして頂けませんか」とメモを渡されました。その方が近畿・大社会会長代行の川上雅弘様でした。そして、第22回総会に私たち集団疎開学童4名をご招待いただきました。(これも ”縁” )。
 一方、私たちも年齢とともに家庭的な事情で、同窓会の出席率が低下したため、出席できない仲間の心情を察して解散に踏み切りました。 第一回大阪大空襲で、学校は勿論のこと、地域は全滅、無残にも卒業式は消え去った3月13日を選び、大阪市西区区長をはじめ、4・6年女子担任の先生2人、約6ヶ月のご縁とはいえ、私たちに計り知れない思い出を残した大社町から、お招きに快く応じていただき、 遠路駆けつけて下さった「「竹野家旅館」・「加善旅館」の館主、お蔭さまで最後の同窓会を有終の美で飾ることができました。因みに、大阪市西区区長は島根大学卒業です。(これも何かの ”縁” )
 ことほど左様に ”縁” はきっかけで生まれ、時には失われることもあると思います。「大社町」と「西六国民学校学童」とは、心の底で繋がっていると信じています。 昭和23年、「西六小学校は児童数激減のため、統廃合されて消滅したことは大変残念でなりません。私たちが住んでいた町は、 豊臣秀吉のお墨付きで花柳界(文楽・歌舞伎の世界で取り上げられています)が栄え、船場とともに商いの町として栄えてきました。 然し、現在は街並みが様変わりして、私たちの故郷とも徐々に縁が薄くなり、やがては消えて行くのでしょうか。時代の流れとはいえ寂しい限りです。


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