第22号 滝川 博吏 (四ツ角)
ご縁

 「私たちは大社を第二の故郷と思い、大社を愛し、懐かしく思っています」
 これは昨年、近畿・大社会に参加していただいた、大阪西六国民学校の出身で戦時中、集団疎開児童として大社で生活された人達の挨拶でした。
 集団疎開というには、戦争中に大都市が敵機の爆撃の的になり、それを避けるために国民学校高学年生徒を強制的に集団(級単位)で空襲の少ないと思われる地方に分散移住させて難を逃れるために実施されたものでした。 大社へは同じく大阪から本田国民学校の生徒達も来ていました。なお、その頃の小学校は国民学校と呼んでいました。
 大社では旅館やお寺を宿舎として集団生活をしておられました。まだ、小さい子供達が親元を離れ、知らない地での健気な生活の姿に大社町の方々が同情し、 また親切に対応されたことに対して感動し、冒頭の言葉になったと思います。
 同時に大社に住む私は、その時に西六国民学校の方々と直接会話した記憶はありませんが、会場でその頃の想い出、大社東国民学校で疎開児童は午後の授業をしたとか、 生れて初めて椎の実やドングリの実を食べたとか、ふうふういいながら弥山に登った話とか、淋しく悲しかったことや空腹で困った話等をし合い、昔を懐かしむことで話が弾み、友好を深めることができました。
 二度と戦争によるこのようなことがあってはなりませんが、それがきっかけで大社での生活をしたことによる友情は全くのご縁と思う次第です。

森亀旅館館主自宅前の本田国民学校生徒の写真  また大社出身でありながらこの近畿・大社会で初めて出会い、知り合って話し合える間柄になれるのも何かのご縁と思い、このご縁を大事にして行きたいと思います。
 このような「近畿・大社会」の集いを企画していただく幹事の方々の労に感謝するとともに、参加でき楽しく昔話ができるのも「ご縁」と思っています。

リターン