会報の第1号から30号までの表紙・編集後記や掲載された会長の挨拶、町長・市長の挨拶、会員投稿文などを紹介するサイトです。
神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
会報の第1号から30号までの表紙・編集後記や掲載された会長の挨拶、町長・市長の挨拶、会員投稿文などを紹介するサイトです。
会報 表裏紙 編集後記 |
【表紙照会】 吉兆 さん 撮影者 八重垣写真館カメラマン 小林はるなさん |
長年会報を作ってこられた近畿・大社会の山崎素文幹事長から制作を引き継ぎ、手探りで作業を進めてきました。特に思案したのは、目玉となる原稿をどうするかという事でした。ふるさと大社を取り上げ、なおかつ興味深く読んでいただけるものです。 そんな中、千家敬麿会長から紹介されたのが森本直友さんです。会長の同級生で親友、長年環境問題に取り組んでこられた方。さまざまな雑誌に随筆や評論を書かれています。「いなさの浜 その面影に」(12、13ページ)は、いなさの浜の大きな変化が少年時代の思い出や出雲国風土記の記述などを織り交ぜながら軽妙な筆致でつづられています。 もう一つは、山崎祐二さんの「「阿国かぶき」が後世の芸能に与えた影響」(78〜89ページ)です。会報の印刷をお願いしている福間秀文堂・福間慎吾さんからの提案を受けました。私の高校時代、野球部の冬季練習でよく走らされた奉納山にある歌舞伎の始祖・出雲阿国の記念塔を手がかりにした評論です。大社ゆかりの阿国の功績を称えてその名を刻まれた芸能各界の著名人58人の分析を通し、阿国の力と影響を緻密に考察しておられます。誰もが知る芸能人の名前が登場し、面白く読んでいただけると思います。 会報制作のため、4月から5月にかけて何度か帰省しました。山崎さんと打ち合わせをし、出雲大社周辺で人力車を走らせる糸賀太郎さん、新設のホテル「Kararako」、保存修理中の旧大社駅を取材しました。その時間調整に立ち寄ったのが出雲大社の参道入口前にあるスターバックスです。和風建築の2階席に座ると、勢溜の鳥居が目の前に見え、すぐ下のバス停には観光客の長い列ができていました。神門通りが歩きやすく整備され、新旧さまざまな店舗が並び、街はにぎわいのある魅力的なスポットに生まれ変わったように思えます。 変わったもの、変わらないもの。会報を手にし、ふるさと大社の風や音やにおいを少しでも感じていただければ幸いです。 泊 吉実
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【表紙照会】 弁天島 ドローン撮影者 有賀道正 (TOHAKUKAN sutadio) |
今年の会報の印刷製本を大社町の福間秀文堂様にお願いすることになりました。千家会長がいつも口癖のように「故郷の発展のために貢献する」と言われていますし、会則でも第二条で「会員相互の親睦と福祉の増進を図り、合わせて郷土出雲市・大社町の発展と活性化に寄与することを目的とする。」とあります。 正しくその精神に則ったものだと思いますが打合せ、データ交換確認等が全てオンライン上でのやりとりなので、不安の中での作業でした。福間秀文堂には多々ご迷惑をお掛けしたこととお詫び申し上げます。皆様、昨年までの会報とくらべていかがでしょうか? 前号に引き続き、松江市で病院院長、また島根県医師会会長をなさっている森本先生が(大社の史話177号)に寄稿されていた、出雲地区終戦秘話「台湾から外園海岸に不時着した輸送機」の転載許可をいただきました。68〜73ページをご覧ください。「AbemaTV緑十字」と打ち込めば簡単にその番組にたどり着きます。 終戦の詔書(玉音放送)を録音の原盤をめぐる凄まじい攻防は有名ですがその他にも全国各地でいろいろな動きがあったことに驚きます。 「近畿・大社会」のHPは2020年から更新できず時間が止まったままですが、「近畿・大社会U」(仮題)として別HPで山本章治さんが鋭意作成中です。公開まで今しばらくお待ちください。。 会報作成を2010年から担当してきましたが、いつの間にかバトンを渡す時期がきたようです。皆様が熱心に目を通される姿に何よりも励まされ一生懸命「がっしょになって」創っていました。長い間ありがとうございました。 会報作成を来年から泊 吉実さん(元読売新聞)が担当してくれます。プロの創る!どんな会報を目にするだろうと楽しみです。 山崎素文
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【表紙照会】 出雲大社 庁舎 撮影 祐源泰成 (勝負写真館) |
大社町の香りのする会報を心掛けています。新型コロナ、高齢等の理由で長い間大社に帰っていない方が多いのではないでしょうか。特に大きく変わった、変わろうとしている三ヶ所(庁舎・宇迦橋・稲佐の浜)を勝負写真館祐源さんにお願いして写真を撮ってもらいました。カラーページにまとめてありますのでご覧ください。(55ページから) 2019年に開催した総会の様子の写真を25ページに亘り掲載しましたが手元にある写真の一部に過ぎません。是非、近畿・大社会のホームページでご覧ください。数多くの写真が総天然色にて掲載してあります。 出雲出身の能見宿禰と桜井市出身の當麻蹶速が相撲を取ったのが相撲の起源であるように、出雲は相撲ととても縁が深いところです。そんな出雲から大社中学の卒業生、布野智希君が佐渡ヶ嶽部屋に入門し活躍が期待されています。 今後の活躍に注目です。歴史博物館で学芸部長としてご活躍の品川知彦先生の野見宿禰の研究記事も掲載しましたので併せてお読みください。 昭和20年7月、北山に一式陸攻が墜落し14名の乗組員全ての方が亡くなられたことをご存知でしょうか。松江市で病院の院長としてご多忙な日々をお送りになっている森本先生が、検証!「北山山中への一式陸上攻撃墜落事故」の記事を、「大社の史記177号」に寄稿されていて、「え〜北山に!」と とても驚いたのですが、そんな事実を皆様にお伝えしたく大社会への記事の転用をお願いしたところ快諾していただけました。掲載は68ページです。 近畿・大社会の礎を築かれた元会長川上雅弘さん、天下のご意見番!長老として親しまれた鬼村正男さん、お兄さんである手銭洸さんといつも一緒に出席されていた小笠原敦さん、凄い!HPを私たちに残してくだっさった酒井良孝さん…一足先に黄泉の国に旅立たれました。「ありがとうございました」 と感謝の気持ちしか思い浮かびません。 千家会長が島根県人会の会長も兼任されることになりました。2019年の総会で乾杯の音頭をとっていただいた戸津川前会長が亡くなられる前に「後事は千家さんに託したい」と言い残されたとのことで断れなかったとのことですがどう考えても適任だと思います。島根のために、そして何よりも故郷大社のために頑張ってください。 本日は新型コロナがまだ終結していない中での「35回近畿・大社会」にお集まりいただきありがとうございました。 山崎素文
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【表紙照会】 弁天島 夜景 撮影 岡垣吉則 (八重垣写真館) |
4月21日(日)古希の会に出席するために大社に帰ってきました。「平成の大遷宮」は終わりましたが、変わらず数多くの観光客で賑わいでした。 大阪もそうであるようにインバウンドの人々の多さに驚きました。 千家和比古権宮司にお聞きしますと、境港に大型客船が着いたときなど特に顕著とのことです。大社の皆さん、中国語や韓国語を猛勉強? 会報にはなるべく多くの方の写真と動画を沢山掲載するように努めましたが、紙数に限りがあり叶えません。お許しください。 「近畿・大社会」のホームページには150枚を超える写真と動画を掲載しています。しかも総天然色です。川上恭弘さん、酒井良孝さん、そして勝負写真館、祐源さんの写真…プロの技術、冴えをお楽しみください。。 ホームページの立ち上げ、作成を一手に引き受け、とても素晴らしい!凄い!内容で更新を続けてくださっている酒井良孝さん、体調を崩され療養中です。ホームページの閲覧を楽しみにしている方も多いと思いますが、更新は今暫くお待ちください。再開の日を首を長くして待ちたいと思います 作成者とって訪問数の増加はなによりの励みであり喜びです。故郷の「懐かしい街角」「大社町の航空写真」等々…見どころ満載です。是非ご覧ください。 32年もの長きに亘り、数多くの先輩方が、情熱をもって大切に引き継ぎ守られてきた「近畿・大社会」というバトン。個人情報保護法の施行後名簿等が手に入らず、新規会員の勧誘がとても困難な状況です。友人、親戚の方等の紹介、勧誘を切にお願いいたします。 新聞記事は、出雲市役所縁結び定住課新宮弘子さんに揃えていただきました。配置転換で着任された早々であり、とても忙しい中での作業であったと思います。ありがとうございました、感謝申し上げます。 本日の「32回近畿・大社会」、出雲弁でしゃべり、「ヤーハトナ〜イ」大梶踊りを楽しみ、X+(エクスト)のお二人の歌声、コパンの元気な演奏、如何でしたか?たっぷり充電して頂けたでしょうか? 2021年の「33回近畿・大社会」は2022年6月21日(日)に同じこの場所、ホテルグランヴィア大阪で開催いたします。またお目にかかりますことを楽しみにしております。 山崎素文
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【表紙照会】 神迎神事(稲佐の浜) 撮影 山崎充史 (独立軒写真場) |
2015年6月、読売新聞に近畿・大社会4での、ある ”ご縁” が写真入り3段ぶち抜きで大きく掲載された。 1944年(昭和19年)、大阪市西区の西六(さいろく)国民学校3〜6年生の約200名は大社町に疎開した(西六国民学校のホームページに詳しい)。30年度の1975年(昭和50年)に奥村さんを始め約30名が「あの時お世話になった方々にお礼がしたい」と、当時宿泊していた竹野屋旅館で同窓会を開催、その後も大社国民学校の先生等も加わり継続して開かれた。 近畿・大社会元会長川上雅弘さんが、竹内繁蔵館主から「こんな集まりをされているよ」と紹介をうけられたことがきっかけで、2009年(平成21年)の22回近畿・大社会に4名の方が初めて参加された。その後、同じ大社町に疎開されていた本田国民学校の方も加わられ、26回には11名もの方が近畿・大社会の私たちと親交を深められた。 同窓会長の奥村さんが、ここ2年、体調を崩され姿を見せられなかったので心配していたが、何も知らずにお送りした今総会の案内状の返信としてご家族の方から「昨年7月に亡くなりました。」と連絡を頂き驚いた。記事中の写真で奥村さんたちとにこやかに談笑される疎開児童を迎える立場であった大社国民学校6年生の澤田娃子さんも昨年旅立たれた。 澤田さんのお母さんは当時大社町では数少ない産婆さんの一人で、私もその一人だが、今日参加された方々の中にもこの世に生まれて初めて見た顔が澤田さんのお母さんという方も多いと思う。夜中に鵜鷺からリヤカーで迎えに来られて急遽出掛けた等、同じ中町出身ということもあり共通の話題も多く懐かしい話を沢山聞かせて頂いた。亡くなられた皆様に心からご冥福をお祈りします。 また、西六国民学校高田康子さんから「体調がすぐれないので今年は出席できません」と丁寧な手紙を頂いた。高田さんは昨年の会報で疎開時の想い出や大阪大空襲の体験等を寄稿していただいてとてもお世話になった。わずか10年にも満たないお付き合いにも拘わらずその印象は強烈だ。昨年は2名、今年は残念なだらどなたのお姿を見ることができないが、元気なられた高田さんを始め同窓会の皆様方との再開を楽しみにしている。 来年度の32回目の総会は6月23日(日)、同じ場所、時間に開催予定です。来年も是非お出かけください。 西六国民学校・・・大阪市西区新町4-4、現在の日新会病院の所にあった。 大阪市西区の国民学校14校は島根県に集団疎開を行った。宿泊先はお寺が多かった。 高田さんは手記に「島根でも一等地の出雲大社、しかも参道に面した一流旅館7軒(4年生の男子だけ隣村のお寺)に分宿しました。警戒警報の発令される大阪と違い、実にのんびりとして空は澄み山あり、川あり、海あり、環境は絶好の地でこれが今日のように、臨海学校か何かに来ていたのならどんなに素晴らしかったことでしょう。」と書かれている。 山崎素文
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ホームページを立ち上げたい・・・というのは10年来の共通の認識でした。ホームページの命はコンテンツ(内容)とNEW(更新)ですから、この二つが叶わないなら無意味、
と思っていましたし、業者に頼んでも、大社の空気を吸って水を飲んで育った人間にしか分からない微妙な空気感は出せないだろうと確信していたので、開設を強く推薦することもありませんでした。 そんな折、「兄貴できるよ!」と思いがけない情報を妹の藪下さんから得ました。兄貴である酒井さんはテニスの先輩であり、高校時代に島根県で優勝されたほどの強者、今でも目の前にすると、 こんなにも背筋が伸びるのか・・・と思うほどの怖い存在。 千家会長の開設するんだ、という強い意志と指示に、躊躇しながらも連絡をとり、浅野相談役も同席していただき明石で酒を呑みながらお願いしました。 快諾でもないのですが、検討するとの言葉。帰り際に会長から言われたらやらんわけには・・・のつぶやきも。 早速会長に連絡をとり、今度は大阪で、大隅副会長も同席していただき、正式な要請にやっと重い腰を上げることを約束頂いたのですが、酔いに任せて、また虎の威を借りて、 「どこにも負けない凄いホームページを作ってください」と口走ってしまいました。そして半年・・・素晴らしいホームページが・・・論より証拠!ご覧ください。 会報の創刊号〜29号、2010年(平成22年)以降は総会・懇親会の写真も、紙面では紹介できなかったものも沢山ご覧になれます。明治・大正・昭和と大社町の古写真もあります。とにかくボリュームたっぷり。 ふるさと大社を満喫できます。最新の情報も随時掲載します。沢山の方のアクセスが何よりの励みであり喜び、みなさん、是非ご覧ください。きっと満足されます。 近畿・大社会は30周年を迎えました。1年に一度だけ現れる出雲弁が飛び交う都会のオカバンゴ。守り、発展させてこられた諸先輩方の努力に敬意を表します。 近畿・大社会の弛まない進化は先輩方が最も望まれることだと確信します。皆様方と一致団結、新しい一歩を力強く踏み出して行きたく思います。さあ!また一年がんばろう!! 新聞記事等の故郷情報は、縁結び定住課飯塚さんから送って頂きました。感謝申し上げます。 来年度、31回目の総会は、同じこの場所で6月26日(日)に開催します。 PS、近畿いなさ会のホームページもあります。ご覧ください。http://kinkiinasakai.net/ 山崎素文
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「お前、幹事長やってくれ!」。体育会系の言葉に嫌もなにも!若月さんが甲子園で活躍されたのは私が小学4年生の頃です。憧れの若月さんと呑んで・・・夢のような日々でした。 「鬼の北井」が君臨した大社高校野球部、「鬼の砂押」の伝統を色濃く守る立教大学野球部・・・「もう一度」と聞いたらさすがの若月さんも「もういいわ。こらえてくれ!」と。 「なんでプロに行かなかったんですか?」と聞いたことがあります。 「尻(ケツ)のでかさが違った。立教に入って先輩のパンツをよく洗わされたが、土井さん(巨人九連覇の二塁手)なども上背は無いがデカパンだった。」「ケツが違った、ケツが!」とても印象に残っています。 裏話、とても面白かったです。若月さんは超アナログ人間。パソコン嫌い携帯電話大嫌いと連絡はもっぱら電話とFAXでした。 よく電話をかけました。その都度奥様に「お待ちくださいませ」と、とても気持ちよく取り次いで頂きました。 枚方市民病院にお見舞いに行った際に初めてお目にかかりましたが、とても初めてとは思えず不思議な気持ちでした。本当にお世話になりました。ありがとうございました。 千家敬麿新会長から「こんなに長くなったけどいいかな」と原稿を渡されました。「まだまだ書き足りないよ!」私には悲鳴にも聞こえました。 同じ町内で生まれ育った幼なじみで宿命のライバル!」余人にはうかがい知れないお二人にしか分からない・・・本文をご覧ください。 創立当時から会の発展に尽くされた松井さんも鬼籍に入られました。「山崎君、山崎君」と、とてもかわいがって頂きました。 昨年の総会ではとてもお元気だったのに・・・。北川さん、長岡さん、岡村さん達同級生のお友達ととても良い仲で、いつも同じテーブルで楽しそうに談笑されていたのを思い出します。 今年も何人かの訃報に接しました。心よりご冥福をお祈りいたします。 春木先生にお願いして「相続でもめないために」の文を寄稿していただきました。「もう年でそんなに弁護士の仕事はしていないよ」とのことでしたが引き受けてくださいました。 とても気さくな先生です。お仕事ですので無料というわけにはいかないでしょうが、それも含めて、気軽に相談されたらと思います。 千家新会長の大変なご努力で、新しく広告掲載をしてくださった企業様が昨年度比34社増。 出雲市からの補助金は細るばかりですが、お蔭様で会費を前々年と同じ金額に戻すことができました。 千家尊祐宮司様、千家隆比古管長様にもご尽力頂いたと聞いております。心より感謝申し上げます。 ずっと近畿・大社会を応援していただいている企業様等、いろいろな方に支えられ来年度は30回目の記念総会を迎えます。 同じこの場所で6月25日(日)に皆様とご一緒に祝いたく思います。 元気いっぱい 笑顔いっぱいの皆様との再会を楽しみにしております。 (山崎素文) |
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毎年、友好交流都市のご縁で桜井市(奈良県)から広告掲載と抽選会景品として「三輪ソーメン」を頂きます。
大社町との友好交流都市としてのご縁は1989年10月からで、近畿・大社機が産声をあげたのが1988年9月(昭和63年)。
ほぼ同じ年輪を積み重ねてきたことになります。
新出雲市になってからもその縁は引き継がれ今日に至っていますが、両市の持つ歴史的な背景、交流都市縁組みについての経緯等を
大社町最後の町長を務められた田中和彦さんに寄稿していただきました。とても深〜い内容になっています。8ページをご覧下さい。 何度か会報の表紙を飾っていただき、今回は会報表紙裏で国麿さんと典子さんの似顔絵を画いていただいた、 元映画看板絵師小林忠市さんが7月19日(日)〜25日(土)まで個展を開かれます。 映画全盛期に映画館の看板を画かれていた業界では有名人です。入場無料ですので是非どうぞ。(83ページに案内が」あります。) 昨年にお招きした「安来のおじ」・・・オフィシャルWebサイトのBLOGで当日の様子を次のように楽しく語られています。 (総会には出雲大社の千家国麿さんもいらっしゃっておりまスた。国麿さん。めちゃ気さくな方で、「安来のおじ、以前から知ってましたよ〜」なんて。(笑) そして、ナニワエキスプレスのベーシスト清水さんまで。清水さん、優しくてカッコ良かった〜。そんなワケで、なんだかスゲー濃厚な会でスた。(笑)」。 その清水さん、今年は演奏ツアー中、今日は岐阜とのことで残念ながら欠席です。ふるさと ”大社” の香りが一杯の会報を心掛けました。 掲載している新聞記事は、出雲市役所記者室本田さんに送っていただきました。感謝、感謝です。 鬼が笑う・・・2016年の総会は同じこの場所で6月26日(日)に開催予定です。 (山崎素文) |
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6月の初旬、何人もの方から「大社会はいつ?今年はないの?」と電話を戴きました。
これまでずっと6月20日頃の開催が常で、案内状も5月の下旬には送られてきていたので、あれ?と思ったとのことでした。
昨年より「グランヴィア大阪」で開催するようになったのですが、昨年の総会が終わった時点で今年の話を進めたところ
既に6月は一杯でやっと押さえることができたのが7月21日でした。
1ヶ月遅れの開催です。ご心配をお掛けし申し訳ございませんでした。 同じ轍は踏まず・・・バッチシ押さえました。2015年、来年もここ「グランヴィア大阪」で6月21日(日)に開催致しますので 今から予定を汲んで頂きまようお願いいたします。 今回の会報作成にあたり、出雲市役所ブランド室片寄室長補佐に多大なるご協力いただきました。感謝申し上げます。 また、表紙は大社町元町在住の写真家板垣宏さんから提供をうけました。ありがとうございました。 国麿禰宜のフェイスブックをご存知ですか?とても人気があるんですよ。是非アクセスして見てください。 (山崎素文) 近隣市町村との共催についてのアンケートの結果(7月5日まで到着分) 送付案内状数370通 賛成58 反対77 その他17 未記入51 |
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大社町を離れて45年になります。隠岐、金沢、大阪、徳島、松山等々を経て神戸に流れ着きました。
どこでも、発する言葉からでしょう「どこの出身?」とよく聞かされました。
「出雲大社」です。正面の鳥居から左に15軒目くらいで、出雲大社は庭代わりでいつも遊んでいました」とちょっと胸を反らして答えていました。 帰省した際には散歩がてら出雲大社にはよく行くのですが、先日一軒、二軒と数えたら僅か20軒余の家しかなくて驚きました。 30数軒あった筈なのに・・・。 ”櫛の歯が欠ける” 状態でとても寂しかったです。 今年の会報は「平成の大遷宮」を特集し、10ページ増での発行です。「出雲大社御遷宮奉賛会」「出雲市総合ガイドブック」から「近畿・大社」の会報ならと気持ちよく記事引用の許可を戴きました。 また、山陰中央新報、産経新聞、朝日新聞、奈良新聞の記事も掲載させていただきました。紙面を借りて御礼申し上げます。 遠く故郷を離れていても「ふるさと大社」への思いは募るばかりです。 出雲弁が飛び交う「近畿・大社会」という憩いの場を持てる幸せを思い、このような憩いの場を育み守ってこられた諸先輩方の努力を思います。只々感謝申し上げます。 「ジージーズ」の懐かしい歌声で青春が!「大梶踊り」の「ヤーハトナイ」のお囃子で故郷が!瞼の裏に甦ったと思います。 ぐっと若返った「近畿・大社会」・・・如何だったでしょうか? さらに明るく楽しい会であるように精一杯務めてまいります。皆様のご指導、ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。 (山崎素文) |
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昭和63年の発足以来、25年間に亘って受け継がれてきた「近畿・大社会」というバトン。 強烈なリーダーシップで会を立ち上げ今日の礎を築かれた小村初代会長。 そして強い信念で会の繁栄に尽くされ、大きな成果を上げられている川上現会長。 若い人の参加も増えました。 また、会長の脇を固めコツコツと努めてこられた役員の方々の努力・・・。 そしてそして、何よりも本日集まってくださった会員の皆様のご協力。 そんな全員の気持ちが25年間に繋がったと思います。 故郷大社の香りのする・・・そんな憩いの時を過ごせることに感謝いたします。 「元気にしちょったかね!」そんな言葉で再会を喜び合われる皆様のお姿に接することが、私達の何よりの喜びです。 「一年振りのご無沙汰でした、よう来てごさいました!」恒例の「ヤーハトナイ」・・・大梶踊り、アンコールに応え今年も来襲の「ジージーズ」 そして大国さん主催・神謡保存会の「大社神謡」、如何でしたでしょうか。 26回目に向けて、さらに笑顔が一杯の「近畿・大社会」であるように努めてまいります。 替わらぬご支援・ご協力の程お願い申し上げます。 (山崎素文) |
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恒例になった「大梶踊り」、そして「ジージーズ」の奏でた懐かしい歌の数々、楽しんでいただけましたでしょうか?「ジージーズ」のメンバーは私と同級生、昭和25年生まれの還暦を迎えた面々です。
リーダーの春木の薫ちゃん(小土地)は卓球部でならしたものですが、芸達者ぶりは当時そのままです。
田中の研ちゃん(山根通り)は「黒い花びら」水原ひろしの付き人をしていた夢追い人、福島の修ちゃん(馬場)は体操、バレー部で活躍したスポーツマンでした。
内藤の順ちゃんは近所の(中町・元町)幼なじみで、当時からグループを組んで演奏していました。あれから四十数年・・・絶句です! 昨年の総会の様子は川上恭弘さんの撮影によるものです。ありがとうございました。 来年の総会は25周年の節目を迎える記念すべき総会です。皆さんと一緒に楽しめたらと強く思っています。 ご協力の程宜しくお願い申し上げます。 (山崎素文) |
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故郷、大社を遠く離れていると大社のことをを特集したTV番組、ニュース等にとても敏感に反応してしまうのは近畿・大社会に集われるすべての人が持つ共通した想いだと思います。
大社の香りを少しでも多く・・・そんな会報を心掛けました。 古写真は1990年(平成2年)に大社町教育委員会が発行した「写真は語る 大社の百年」、1992年(平成4年)に合併40周年記念として大社町役場が作成した「カレンダー」と、戦後の「絵はがき」のものです。 大社町の中林昌治様と川上恭弘様から拝借しました。ありがとうございました。 こんな珍しいものを持っているよ、こんなイベントをしたら!こんな記事を載っけたら!なんでも結構です。事務局の山崎までご一報下さい。 また、誤植の指摘、会員情報、意見等もお願いします。 電話の方は 078-925-7570、FAXの方は 078--925-7571 メールの方は izumo21@mua.biglobe.ne.jp までお願いします。 (山崎素文) |
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本号の編集にあたり、これまで、ほとんど一人で表紙写真の入手、広告の募集、寄稿の依頼ととりまとめ、各ページの改訂、名簿改訂、印刷の手配までしてこられた小村会長のご尽力に改めて思いをいたした次第です。
今回は、役員でそれぞれ分担、纏め上げ、発行の日を迎えることができました。 表紙は、出雲大社御遷宮を機に特別の許可を得て、御本殿の天井に描かれている彩雲で飾ることができました。 また、この4月に就任された長岡秀人出雲市長から「五つ星の出雲市」と題して、清新気溢れる新しい抱負を織り込まれた一文をお寄せいただき、 両様相まって記念すべき会報をお届けすることができました。厚くお礼申し上げます。 今回の総会開催への準備業務や会報の編集を通じてまして近畿・大社会にも新しい息吹が感じられ、この新しい波を更に広げていくようにしたいと思っております。 (川上雅弘) |
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本年度の会報は、「出雲阿国座」を中心とした話題を重点的に取り上げたために必然的に関連もので賑わうことになった。 阿国と言えば即座にこの人の名前が浮かんでくるほどの有名人、出雲阿国顕彰会副会長・福島裕子さんがその人で、長い間教師生活をしてこられた一方で、 阿国に関する研究や著書も多いところから、特別寄稿の形で一筆願うこととした。 寄稿文によればかつての大社町には二つの劇場があって大層賑わっていたようだから、創建への期待をさらに高めた次第です。 また「出雲阿国」を名乗る創作舞踊、杉谷桂子さん一行の出演も話題の一つでしょう。 久し振りに洗練された踊りを堪能したい気分で一杯となりました。 (小村多一) | ||
平成元年創刊以来、この稿を担当してはや19年目を数えた。 振り返ってみて、なにが一番辛かったと言えば、やはり訃報に伴う、住所欄の氏名削除作業だった。 特にここ二、三年に掛けて増え続けており、本年は顧問の藤間繁義、和田雄次さん、会員の河井順市、桑原哲弥さんら四人の名を消した。 昨年も顧問の杉原清さんに、監査役の中山富夫さんの名を除去している。 さらに遡れば幹事の朝日久美子、佐貫幸久、中島崇さんらに、副会長の手銭英吉、中尾茂さんの名前をも消し去った。 創立20周年のおめでたい年なのに・・・なぜ?の声をあるかと思いますけれど、逆にこんな時だからこそ、生前の面影を偲びながらその偉業を称えてあげるのが残された者の勤めではないかー。 ここに謹んでご報告。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。 (小村多一) | ||
本年1月、出雲市をふるさととする近畿圏の郷土会である、いずも、平田、佐田、多岐、湖陵の各会に呼び掛けて「近畿出雲市会」を結成した。
連絡協議会では各会の活動状況、市当局への要望等を話題としたが、もう一つの狙いは、平成元年以来、休眠状態だった「いずも会」をなんとかして元通りにしたいという願いがあった。 同会は昭和39年誕生。初代会長は、旧制大社中学14期卒の故米原容次郎氏で、しかも大社高校卒業生会・近畿いなさ会の元会長でもあった。 「郷土を愛し、同郷の人々とのい絆は大事に・・・」と教えられていたので、その意志を踏襲。 「いずも会」復活に一役買うこととなった。さいわい、事務局を預かっていた大錦義昭氏の快諾もあり、この5月、実に18年ぶりに復活。 西尾市長も急遽駆けつけて、祝杯を挙げるに至った。 平成7年、満百歳の長寿を全うされた米原さんに対して、いささかながらも、ご恩返しができたと喜んでいる。 (小村多一) |
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『新出雲市誕生』に伴う大社町の『閉町式』が、三月五日、大社文化プレイスで盛大に行われた。
最後の勤めを見事に果たされた田中和彦町長をはじめ、青木幹雄参議院議員、手銭長光県議会議員、佐貫吉孝町議会議長、歴代町長、各助役、長谷川明桜井市長さん達とともに参列の栄に浴した。
あの広い会場には、町民の方々も大勢詰め掛けて、ともに54年間に渉る歴史的な幕引きに立ち会うことができたのは、この上もない感激だった。
しかも当会に対して観光文化産業振興に尽力したということで感謝状までいただいた。 そう言えば近畿・大社会は、本格結成満18年目となるが、その間、大社商工会主催による大社フェア展や、一昨年、京都南座で開かれた出雲阿国をテーマとしたシンポジューム等に、大勢の会員を動員したことなどを思い起こす。 しかしながら年に一度の総会、懇親会が多くの郷土出身者の拠り所になっているのは言うまでもないことで、ご支援いただいている為政者の強力なバックアップに、今更ながら頭が下がる思いがする。 改めて古川、田中前元両町長さんに心より御礼申し上げたい。と同時に『近畿・大社会は永遠に不滅です』を旗印に益々充実した組織となるよう努力するとともに、近畿に存在する出雲市6支所との連携をも密にして、友好の輪を広げたいと念願して止まないものがある。 (小村多一) |
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平成の大合併により、大社のあたまに「出雲市」がのっかかるという新時代を迎えようとしている。
時の流れといえばそれまでだがなんとも言えない妙な気分になるのは、筆者だけではなかろう。
この改革により、永年親しんできた大社町長という名称が消え去るばかりか、身近な存在だった町会議員の呼称もなくなるのだから、その侘しさや悔しさというものは、計りしれないものがあろう。
ご当人さんたちはもちろん、その改革の痛みは、われわれにもひしひしと伝わってくるような感じさえする。 本総会には、そんな町長さんや10人もの議員さんたちが、最後のお勤めとばかり大挙、出席していただくことになった。 惜別の情とでも言うべきか、会報の広告欄も、全ページに拡大された。ついホロリとしてしまうご協力ぶりである。正しく感慨無量である。 お世辞を言うわけでもないけれど、なんといっても永年にわたって行政の先頭に立ち、郷土の発展と活性化に向けて、献身的なご努力を積み重ねてこられたことに対して、衷心より御礼とねぎらいの言葉をお贈りしたいと思う。 あなた達が残された足跡は即大社町を盛り上げた功労者として、永久に残るものであり、私たちも語り伝えたいと思う。ご苦労様でした。 (小村多一) |
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2003年・特別号をお贈りします。 本年も、阿国歌舞伎発祥四百年を祝して記念総会と銘うって開催の運びとなりました。 ここ数年、大社町の行事開催等に合わせて「記念」となのつく総会を設けてきましたが、明年から第20回総会までの3年間は、いわゆる普段通りの総会となります。 高齢少子化に伴い、近畿・大社会の会員も年々高齢化しており、その人数も暫減の傾向を辿っていますが、ここらでもう一度原点にかえり、立て直す段階にきていると思います。 人員増強のポイントは、やはり40代50代の人達の確保ではないかと思います。 そんな観点からも一部手直しをしてその年代に沿った役員を登用して、人数確保と若人発掘に取り組むことと致しました。 鷺浦出身で、あの瀬戸大橋完成の立役者として有名な飯島靖郎さんを顧問にお願いしたのをはじめ、女性のまとめ役のひとりとして、大阪天満宮・寺井紀美子宮司夫人が副会長に就任されました。 また、お若い松下重代、森田恭子さんのお二人とともに、フレッシュで積極性のある山崎素文さんも名を連ねていただきました。 総会前に開いた顧問幹事会では、新役員の皆さんの積極的な発言が活気を呼んで、久々に充実したものとなりました。 これらの人々と共に総会の見直しはもちろん、会員相互の理解をさらにたかめるよう、衆知を集めて前進したいものです。 (小村多一) |
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2002年度・特別号をお贈りします。 本年は、創立15周年ということで、ふるさと大社町から、盆踊り連一行が来阪されることになりました。 例の荒茅音頭(大社音頭)の口説きに乗って、夜が耽るまで踊り続けたのを懐かしく思い起こします。 戦後間もない頃は、もちろんテレビもなかったし、ラジオの普及率も低かった時代だから、夏の夜の楽しみといえば、盆踊りとか、青年団有志が主催する演劇やノド自慢大会などが主流。 あちこちと梯子しながら踊ったり、観たり、聞いたりしたものです。 私が住んでいた神門通りは、道幅も広かったし、踊りをするには格好の場所が多かったので、中学時代には、『太郎あんま』と呼ばれていた、いまでいうマッサージ師の口説きに聞き惚れて、そのうちに節回しを覚えてしましました。 第1回総会を開いたとき、お酒の酔いも手伝って、咄嗟にマイクを握って口説きだしたのだから我ながらびっくりした次第。 その時、真っ先に飛び出して、さっそうとリーダーぶりを勤めてくださったのが市場南の中川三和子さん(旧姓川上)。 つられるように、沢山の人々が喜んで参加していただいたのを、いまでもはっきりと覚えています。 昨秋、大社町合併50周年記念式典に参列した際に、たまたま、その三和子さんにお会いし、かつての盆踊りの話に花が咲いたところから、今回の出演話に結びついたのです。 そういえば「盆踊りを観るために参加します」という返信も随分いただいております。 副会長の錦織喜久子さんも私のひとこと欄で書いていますように、拍手喝采でお迎えしたいものです。 (小村多一) |
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ひと月前の7月7日に、大社高校野球部創部百周年の記念式典と祝賀会が大社文化プレイス・うらら館で開催されました。
当然のことながら、私も参列させてもらいました。
かつて白球を追った球友たちの勢揃い・・・。
再会の喜びに浸る人達の姿を拝見して、思わず胸にジーンとくるものがありました。 明治34年創部。甲子園には夏8回、春2度出場の栄冠に輝いた母校野球部のお祝いだから、地元はもちろん、東京、近畿、広島、福岡等々、遠隔地からの参加者を含めて130名、来賓者も30名の多きを数える素晴らしい集いとなりました。 ふるさとを思う心、母校を懐かしむ気持ちなどというものは、母の懐に飛び込むようなもの。やっぱり、いいものですね。 おそらく、近畿・大社会の集いなども、同じような気持ちの人達も多いのではないでしょうか。 昭和63年に創立してから、はや14年。そんな望郷の人達の、それこそ、年に一度の集いのお世話が出来るのも、健康で元気でだからこそ持続できたと思います。 今後も精進しながら、まずは、当面の目標である、明年の第15回記念総会に向けて、さらに前進しようと決意した次第です。 (小村多一) |
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2000年度・特別号をお贈りします。 表紙は、本年最大の話題となりました出雲大社本殿をイラストで飾りました。 制作者は大社町荒木出身の小林忠一イラストレーター(尼崎市御薗在住)で、同時に表紙のレイアウトも担当していただきました。 素晴らしい出来栄えに感動さえ覚えます。 小林さんは、昭和22年生まれの52歳。幼い時に父親を亡くし、苦労しながら大社中学から大阪私立第二工芸高校を卒業。 イラストレーターを目指して種々制作に取り組み、昭和50年、美術文化展に入選されたのをはじめ、印刷美術イラストコンペにも入選、昭和63年から毎年個展を開いて好評を博しておられます。 現在は大阪市水道局の情報誌「ピュア」の表紙イラストも担当、さらに評価を高められ、今後の活躍にも大いに期待が持たれています。 このように、ここ近畿には大社町出身の大勢の逸材が活躍、心強い限りです。 そういった人々を発掘、ご紹介するのも、われわれの勤めではなかろうかと、痛感している次第です。 本年は記念総会ということで発会当時、紺色の会旗に鮮やかに浮かび上がる『近畿・大社会』の文字を揮毫していただいた、出雲大社・千家尊祐宮司さんから「会旗と初対面してみたい」という、ご参加の意思表示がありましたが、都合がつかず欠席されました。 同時に出席届までいただいていた島根県・江口博晴副知事も急遽アメリカ出張のため欠席されました。 お二人とも皆様によろしくとのことでした。次回にはぜひ、ご出席をお願いしたいものです。 (小村多一) |
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毎年、この頃になると、皆様からのご返信を便りに、出欠はもちろん、その消息が気になるところです。 満94歳の内田征さん(真名井)から、本年も真っ先に返信が届きました。 喜んでいた折に、草津市在住の河原林光子さん(旧姓板倉・立小路)から「もう80歳となりましたが、出席してもいいのかしら?」の問い合わせに続いて、これまた、嬉しい便りが届きました。 案内状の表書きまでして頂いた顧問の杉原清さん(唐島)からも、当然のように、出席届がありました。 杉原さんは、大阪府庁を振出しに島根・広島両県の土木部長を勤められ、一昨年には、勲四等瑞宝章を受けられました。 遅ればせながら、祝福のことばをお贈りします。 和歌山の清水恭子さん(足立・馬場)からは、昨夏、神光寺住職・渡辺説康師の訃報を伝えていただいた上に、新会員として紹介された岸本正子さん(森山・宮内)とともに、初出席されることになりました。 こうした喜びの反面、岡本順子さん(旧姓竹内・正門西)のご主人久良さんからは「永らくお世話になりました」の添え書き付きで、5月に逝去された順子さん(享年60歳)の悲報が届けられました。 つい、最近までの常連者の一人として、親しく歓談、記念写真まで撮った仲だったのに・・・。皆様とともに、ご冥福をお祈りしたいと思います。 このように、毎年、繰り返される悲喜交々の人生だより。 受け取るたびに、ますますのご壮健をお祈りして参りましたが、明年は記念すべき2000年総会(7月30日(日)太閤閣で開催予定)。 願わくば、皆様の、お元気印のお便りや、お姿を拝見したいものと、早くも念願しております。 (小村多一) |
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会報の第10号をお届けします。平成元年にスタート以来、この会報も丸10年を数えたことになります。
当初は、全会員の住所を網羅するための苦労たるや、それは大変なものがありましたが、さいわい近畿・大社会には沢山の幹事がおられますので、その方たちのご協力で、添削作業もほぼ完全にこなしたように思います。 特に本年は、郵便番号が7ケタになったということで、幹事諸氏に追加作業に取り組んで頂きましたが、面倒な作業のなかで、いままでにみつからなかった住所名の小さいミスも発見されて、さらに充実したものに仕上がったと自認しています。 明年元旦からは、今度は大阪の電話番号の局番のあたまに6という数字が追加されることになりました。 例えば現在の事務局の電話番号は、06-338-1559ですが、明年からは、06-6338-1559となります。 また、一つ追加作業が加わりますが、これまた幹事諸氏にお世話になることと思います。 こうして、10年という積み重ねを経ながら、皆様の会報として、貴重な財産となって後世に受け継がれていくものと確信しております。 さて、本年の表紙は、朱色が一段と映える日御碕神社全景を題材としました。 これは、原守正氏(元大社町役場勤務=市場在住)に特にお願いしたもので、なかなかの出来栄えです。 今回もカラー印刷で花を添えることにしました。 この会報を通じて、さらに郷土との絆が固まり、21世紀への架け橋になればと祈念しています。 (小村多一) |
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会報10周年記念号をお届けします。
ことしは記念総会ということで、表紙は島根ワイナリーを題材にカラー印刷で飾りました。
表紙カラーに関しましては、JA島根経済連・島根ワイナリーの皆様に、大変なるご協力を賜りました。心から御礼を申し上げます。 本年で9回目となりました。この会報は、会員の皆様の始め各企業からの広告掲載のご協力により作成されており、一部は「みんなで楽しむ大社町人の集い」の経費としても活用させて頂いております。 今回も数多くの皆様からご協力を頂きました。この稿をお借りして、改めて感謝申し上げる次第です。 さて、この会報がスタートしたのは、平成元年第2回総会からで、鮮やかな濃紺印刷のなかに雄大なる出雲大社本殿が映えて、近畿・大社会の創刊号としては誠に相応しいものがありました。 以来、廃線となった大社駅舎、日御碕灯台、出雲阿国、吉兆館、宇迦橋の大鳥居、鷺浦のしゃぎり太鼓、稲佐の浜等と続き、今回は島根ワイナリーということになりました。 いままでは、どちらかといえば大社町の史跡や名所にスポットを当てて参りましたが、今回は思い切って優良企業を対象にしました。 こういった試みは、今後も採用する所在ですが、今後の題材につきましては皆様方のアイデアも活かしていく考えでおりますので、どしどしご提言下さるようお願い致します。 また、今回の会報には、顧問幹事の皆様から10周年記念に寄せられる言葉を掲載しております。 それぞれにまことに意義のあるお話が綴られています。次回からは、会員の皆様からのお言葉をお持ちしています。奮って御投函ください。 (小村多一) |
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本年は、役員改選の時期と重なりました。6月7日、顧問・幹事会を島根県大阪事務所で開催。
改選については、大半の役員が留任、この2年間、大社会を支えて頂くことになりましたので、引き続き皆様のご協力、ご支援のほど、まずは、おねがい申し上げます。 永年にわたり副会長の大役を果たされました森山昭吉、石田哲夫さんのお二人が定年退職、大阪を離れられましたので、その後任人事がひとつの焦点でもありました。 後任候補として、川上雅弘、小川卓朗さんの2人を推薦、全員一致で承認されました。 川上さんは学識豊かな温厚タイプ、この会の出席率も高いゴルフ愛好家。 小川さんも長い間、教員生活を勤めてこられた教育家でもあり、大社会にとっては、まことに当を得た副会長の誕生だと、喜んでいます。 これで、副会長は男女合わせて7人となりました。 千人余の、こういう団体では、多すぎて困るというものではありません。 それぞれが役割を分担、さらなる前進を計ろうと、誓い合っているところです。 例えば明年は、創立10周年という、一つの区切りのいい年を迎えます。 素晴らしい記念事業の担当に川上雅弘副会長を、また毎年発行している会報の改革案担当に小川副会長と落合幹事長。 名簿の充実を計るための担当には、中尾、澤田両副会長。 さらには若手会員の発掘や出席率を高めるための担当に、福間事務局長補佐にお願いするなど、あらゆる面にも対処できるよう、各役員の分担も整えました。 要は会則の冒頭にもあるように、親睦を旨とした友好団体。 皆様に親しまれ、喜んでいただける会に育てあげるのが、私たちの勤め。 今後とも努力して参りますので、ご協力の程、お願い申し上げます。 (小村多一) |
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きょう23日は、衆議院議員の選挙の日と重なりました。
確か2年前の平成5年7月18日の第6回総会も、衆議院議員の選挙とダブリましたので、参加人数に少なからぬ影響がでましたが、今回もその余波が相当でたようです。 しかも、今年の場合は、去る1月のあの悪夢のような大震災の影響で、神戸市を中心として、被害者が続出。 いまもなお、学校に避難している家族もいらっしゃるようで、鵜峠出身のある方は、その避難先から欠席のご返事を届けてくださいました。 おそらく、転居先をはっきり明記されていたために、案内状が届いたと思いますが、今年は例年になく転居先不明の返信が多かったような気がします。 それだけ被害が多方面に渡っていたということでしょうか。 そんな情勢のなかでの今年の総会。例年のような、おお賑わいとは参らぬようですが、あの大きい障害を乗り越えて、お互いに元気であることを確認する場を設けられることと、そんな被害者を少しでもお慰めできればということから、実行した総会でもございます。 生きていることの幸せを噛み締めながら、再会の喜びを分かちたいと思います。 それにしても、この大震災のために、かつての小学校時代の同級生・松井繁子(旧姓森山=大社中学校通り)さんが亡くなったのが残念でなりません。 聞けば三木市から神戸市長田区に移転して間もなかったとのこと。人の運命などというものは、一寸先は闇のようなものです。 ここに改めて、故松井さんのご冥福をお祈りし、併せて生前の面影を忍びたいと思います。合唱。 (小村多一) |
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この春、大社町長の古川百三郎さんが、2期8年の任期を満了して勇退されました。
古川さんはいうまでもなく近畿・大社会創立当時の町長であり、その発足に際しては大変なるご指導、ご協力を賜った、いわば大恩人の一人です。 あれは確か昭和62年秋、近畿島根県人会の会場で40年ぶりに会って旧交を復活したのがことのはじまり。 以来、お互いに先頭を突っ走ることとなったが、もしあの時の出会いがなかったならば、いまの近畿・大社会の存在はなかったのだから、いかに、出会い触れ合いが大事であるかのいい見本ではないかと思いますし、前町長が残された大きい遺産だとも思います。 かわって今度は弱冠41歳の田中和彦さんが、新しい担い手として登場されました。 田中さんは鵜峠から初の町長であるばかりか、新風を吹き込み新進気鋭の若武者としての活躍が期待されています。 この総会にも、2度参加しておられますので、いわば顔馴染み、理解度は高いと思います。 私達は、このお二人をお迎えして、この記念総会を盛大に開催できることに、心から感謝を申し上げたいと思います。 偶然とも申しましょうか、近畿・大社会の役員構成も、大きく変わりました。 それぞれの役割分担を明確にして、会員の皆様のご要望に沿うよう、合わせて郷土・大社町の活性化に、少しでもお役にたつよう、誓いも新たにしています。 前町長の功績を称えつつ、また新町長の今後の活躍にきたしつつ、新たなる触れ合いの始まりとしたいものです。 (小村多一) |
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昭和63年に誕生した近畿・大社会は、お蔭様で、今年で6周年を迎えました。いま静かに、創立当時のことを振り返ってみますと、様々なことが脳裏に浮かんできます。 古川町長との堅い約束の上で、準備を進めてみたものの、果して、会員が集まってくれるかどうか、そして立派に育つかどうか、 なにしろ最初の試みでしたから、寝ても覚めても、そんな心配ばかりの船出でもありました。 そんな私の右腕となり、これまた寝食を忘れて土台を築いて頂きましたのが土江弘二事務局長でした。島根県大阪事務所に勤務されていたのが大きい強みで、 会議室の設営から地元大社町との連絡、役員会の招集等々、その働きは枚挙に暇がないほどでした。 その大功労者の事務局長が、平成6年3月には定年退職、故郷に帰られることが内定しています。 余人をもって代え難い人材ではございますが、時の流れに逆らうことはできません。 事務局長が果してこられた功績を称えつつ、会としては原点に戻り、素晴らしい体制を築くよう努力するつもりでございますので、 役員をはじめ会員諸氏のこれまで以上のご協力、ご援助のほど、よろしくお願いもうしあげます。 (小村多一) |
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手探りの状態で誕生した近畿・大社会も、お蔭さまで満5周年を迎えました。これもひとえに会員の皆様のご協力の賜物と深く感謝しています。
と同時に、会をここまでお世話をしていただいた幹事諸氏のご努力があったればこそと、頭が下がる思いです。 千人もの団体となれば、運営はもちろんのこと、日常のお付き合いとか、他団体との交流、会内の纏まりなどと、なかなか難しいものがありますが、 それらを乗り越えて、今日の記念すべき総会を迎えましたことは、なににも増して嬉しいことと言わねばなりません。 皆様とともにその喜びを分かち合いたいと思います。 それと毎年のことではございますけれど、今年もまた数多くの優良企業や個人の方々から多額の協賛広告をお寄せ頂き感謝のほかございません。 この稿を借りて厚く御礼申し上げます。 会報のトップに今回は川上哲治さんの思い出を掲載しました。型破りの挨拶文ではと思いスタートしましたものの相変わらずの駄文で恐縮しているところへ「阿国顕彰会」福島裕子副会長の玉文で補って頂き、これまた感謝のほかございません。 今後もこうした試みを続けて参りたいと思っています。 皆様方の原稿をお待ちしています。 ところで、私ごとで恐縮ですが、この6月24日に行われた株主総会で専務取締役を退任・顧問となりました。 昭和25年・日刊スポーツ新聞の編集局に入社いらい、42年にわたる現役生活にピリオドを打ちました。 正直なところ、やはり侘しい感じがします。 が、それが世の習いであるならば、むしろ、まだまだ元気なうちに、後進に道を譲れたということで、一種の解放感に浸りながら、満足感をも味わっているのだから、物は考え様ですね。 このあとは、アサヒプランニング株式会社の会長として、いままでの経験を生かして、さらに頑張りたいと思っています。 貴重な紙面を借りて近況報告となりました。お許しください。 (小村多一) |
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おかげさまで会報作りも三回目を数えました。ひとつずつでも成長しなければと思いつつも、相変わらずのお粗末さで責任を感じています。 幸い会員の数だけは八百人を越えました。このパワーを背景にさらに交流の場を広めたり、結束の輪を固めたりーと意欲だけは旺盛です。 五月十一日・郷里大社町で地元の人達との交流・懇親会があり近畿・大社会から二十一人が参加しました。双方合わせて百人のそれは素晴らしい集いでした。 これもひとえに会員のみなさまや地元のかたたちのご激励・ご後援の賜と、この稿をお借りして深く感謝申し上げます。 また今回もかず多くの方々から協賛広告を頂き恐縮しています。 この財源を元に、世のため人のため、また大社町活性化のための一助にと、大事に遣わせて頂きたいと思います。 今回の会報トップに「見たり聞いたり話したり」の原稿を載せました。これは少しでもこの会報が皆様の・発表の場として活用して貰うためのひとつの試みです。 次回からもただ単に名簿だけの会報にならないよう、皆様がたのご投稿をお待ちしています。 (小村多一) |
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問い合わせ先 近畿・大社会事務局 山崎 素文 090-9057-4089 |
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