近畿(きんき)大社会(たいしゃかい)のあゆみ

第31回総会。平成30年6月24日(日)。「ホテルグランヴィア大阪」で開催。229名の出席。千家尊祐宮司ご夫妻、長岡秀人出雲市長に出席頂いた。珍しいサキソフォンカルテット「コパン」の軽快な演奏に場内は沸いた。表紙は、旧暦の10月(神在月)に稲佐の浜で行われる神迎神事。

第30回総会。平成29年6月25日(日)。「ホテルグランヴィア大阪」で開催。278名もの方に出席して頂いた。大社神謡「八雲立つ」、祝舞「恵比寿舞い」で30回記念総会を祝い、40回目に向けて厳かに新しいスタートを切った。表紙は、糖尿病に対する正しい知識の啓発を目的にした「世界糖尿病デー11月14日」に合わせブルーにライトアップされた出雲大社本殿。

第29回総会。平成28年(2016年)6月26日(日)。「ホテルグランヴィア大阪」で千家新会長の下220名が出席し開催。大社神謡、大黒舞、大梶踊り、元慶應義塾大学チアリーディング部メジャレッツの岡野、伊藤さんのチアリーディング等を楽しんだ。表紙は、板垣宏さんの「稲佐の浜夕景」。

第28回総会。平成27年(2015年)6月21日(日)。「ホテルグランヴィア大阪」に184名が出席。若月新会長急病のため浅野副会長の下で開催。故郷大社より駆けつけてくださった「大梶踊り保存会」の皆さんと大梶踊りを楽しみ、甲南大学川上純司教授の「ガンって治るの?ガン治療薬の最前線」の講演に耳を傾けた。表紙は古川誠さんの「神官」。

第27回総会。平成26年(2014年)7月21日(日)。「ホテルグランヴィア大阪」に217名が出席。「安来のおじ」の出雲弁の軽妙なTALKと歌、そして皆様お待ちかねの大梶踊りで大いに盛り上がった。表紙は板垣宏さんの奉納山からの風景。

第26回総会。平成25年(2013年)6月22日(土)。「ホテルグランヴィア大阪」に202名が出席。「ヤーハトナイ」大梶踊り、ジージーズ、そして中尾清美さんの歌声を楽しんだ。表紙は御修造なった出雲大社本殿(国宝)の雄姿。

第25回総会。平成24年(2012年)7月1日(日)。「太閤閣」に220人が出席。「大社神謡保存会」の皆さんの大社神謡で25回目の記念総会を祝った。表紙は大鳥居出身で千葉県在住の前島右亨氏作の「出雲の築地松風景」。

第24回総会。平成23年(2011年)6月25日(日)。「太閤閣」に176人が出席。大社からおなじみになった大梶踊り保存会の他に、おっさんバンドの「ジージーズ」が来演、グループサウンズの懐かしい歌声に遠く過ぎ去った青春の日々の思いを馳せた。表紙は小林忠市氏の「日御碕灯台と夕陽」。

第23回総会。平成22年(2010年)6月20日(日)。「太閤閣」に181人が出席。菊水会の皆さんの勇壮な本場の河内音頭を堪能、また故郷大梶踊りの皆さんと一緒に踊りを楽しみ、大きな輪ができました。表紙は「吉兆さん勢揃い」の珍しい写真。

第22回総会。平成21年(2009年)6月28日(日)。戦時中、大社町に集団疎開をされていた西六国民学校のみなさんをお迎えし「懐かしい集団疎開の想い出」を語っていただいた。表紙は出雲大社の特別のご認可を頂き、「御本殿天井八雲之図」。「太閤閣」に182人が出席。

第21回総会。平成20年(2008年)6月29日(日)。230人が出席。大社神謡をはじめ出雲弁トーク、詩吟、古典舞踊、大社神謡教室、出雲阿国「阿国囃子」等々、数々のアトラクションで盛り上がった4.表紙は出雲阿国座(仮称)完成イメージ図。

第20回総会。平成19年(2007年)7月1日(日)。創立20周年記念総会に310人が出席。大社神謡をはじめ大土地神楽、大梶踊り等々、郷土芸能の熱演が人気を呼んだ。表紙は新装なった日御碕神社。

第19回総会。平成18年(2006年)7月2日(日)。第84代出雲国造・出雲大社千家尊祐宮司が初めて出席、会場を埋めた240人の参加者から大歓迎を受けた。会報の表紙は古代出雲歴史博物館の全景。

第18回総会。平成17年(2005年)6月12日(日)。新生出雲市誕生記念として「太閤閣」で開催。西尾新市長、長谷川桜井市長ほか181人が出席。馬場同志会のしゃぎり太鼓が人気を博す。表紙は出雲大社神楽殿。

第17回総会。平成16年(2004年)6月20日(日)。4年振りの「太閤閣」に195人が参加した。合併により最後の出席となる地元議員団や盆踊り連が参加。表紙は山田考尚氏撮影の出雲大社参道。

第16回総会。平成15年(2003年)6月29日(日)。3年連続「帝国ホテル」に220人が参加。阿国歌舞伎発祥四百年記念の表紙を始め、古典舞踊、朗読、阿国踊り、津軽三味線が好評を博した。

第15回総会。平成14年(2002年)6月16日(日)。大阪北区「帝国ホテル」に220人が参加。大社公民館主催による復活盆踊り連が大挙来阪、会場を大いに盛り上げた。会報の表紙は稲佐の浜と弁天島。

第14回総会。平成13年(2001年)8月5日(日)。大阪北区の「帝国ホテル」に220人が参加。大土地神楽の熱演が人気を呼ぶ。会報の表紙は前回につぐ小林忠市氏のイラスト・宇迦橋の絶景で飾る。

第13回総会。平成12年(2000年)7月30日(日)。大阪市北区の「太閤閣」に230人が参加。馬場同志会の勇壮なシャギリ太鼓が人気を呼ぶ。会報表紙は小林忠市氏のイラストで出雲大社本殿。

第12回総会。平成11年(1999年)7月25日(日)。大阪梅田の「新阪急ホテル」で220人が参加して開催。郷土芸能赤塚神楽や大社神謡の熱演が人気を呼んだ。会報の表紙は北島国造四脚門。

第11回総会。平成10年(1998年)7月26日(日)。大阪市城東区の「ちゃんこ朝潮」に220人が参加。相撲茶屋にちなんだ近畿相撲甚句会が出演、人気を呼んだ。会報の表紙は日御碕神社。

第10回総会。平成9年(1997年)7月27日(日)。大阪都島区の「太閤閣」に300人が参加。古典舞踊・天羽流家元の祝舞いをはじめ、大土地神楽、安来節保存会、2年ぶり出演の出雲光一らの熱演に終日沸いた。会報の表紙は「島根ワイナリー」の全景をカラーで飾る。

第9回総会。平成8年(1996年)7月14日(日)。前年と同じく神仙閣で開催。「島田のブンブン」のヒット歌謡歌手・三田佳代子さんの熱唱に沸く。参加者は200人。会報の表紙は稲佐の浜。

第8回総会。平成7年(1995年)7月23日(日)。第8回総会は大阪梅田の神仙閣で開催。今回も参議院銀選挙日と重なる。例の1月17日、阪神淡路大震災直後の総会とあって出足が懸念されたが、予定をはるかに超えて250人が参加。 再会した喜びを分かち合いながら、センチュリーレコード専属・出雲光一さんの演歌に聞き惚れた。なお、会費1万円の中に震災義援金を含んだ。会報の表紙は鷺浦地区のシャギリ太鼓で飾る

第7回総会。平成6年(1994年)7月24日(日)。第7回総会は前年と同じく新阪急ホテルで開催。鵜峠出身初の田中和彦新町長の来阪とあって同地区出身者が大挙参加、地元・鵜峠地区団体一行に「よる盆踊りや銭太鼓が人気を呼んで参加者は300人。祝賀ムードに包まれた。会報・第6号の表紙は、宇迦橋の大鳥居を題材とする。

平成5年(1903年)12月11日(土)。忘年会を兼ねた顧問・常任幹事会を新阪急ホテルで開催。吉川南津喜氏を全員一致で新事務局長とし、事務局も出雲大社大阪分院内に置くことも合わせて承認した。

第6回総会。平成5年(1993年)5月18日(日)。第6回総会は大阪北区「新阪急ホテル」で開催。当日は衆議院議員の選挙日と重なったが、古川町長・高木副議長が急遽来阪。180人が参加して盛り上げた。会報.第5号の表紙は、この年の4月にオープンした吉兆館の全景を採用した。

第5回総会。平成4年(1992年)7月19日(日)。第5回記念総会は大阪都島区「太閤閣」に353人が参加して盛大に開催。出雲大社教管長・千家達彦氏が初出席して花を添えた。またゲストとして阿国顕彰会の阿国おどり、歌手・島路陽子らが出演するなど、結成以来最高の盛り上がりを見せた。 また、5周年にあたり土江弘二事務局長を功労賞表彰した。会報・第4号の表紙は出雲阿国のレリーフをあしらった。

第4回総会。平成3年(1991年)6月2日(日)。第4回総会は大阪・北「重慶飯店」に204人が参加して開催。阿国顕彰会の副会長・福島裕子女史が「出雲阿国について」の記念講演を行った。 ゲスト歌手はキングレコードの山本いづみと中国歌手・楊明さんの二人。また初の試みとしてカラーテレビを始め豪華景品が当たる福引きが人気を呼んだ。会報・第3号の表紙は日御碕の灯台で飾った。

平成2年(1990年)11月12日(土)・13日(日)。第1回オール大社会懇親会とゴルフ大会を大阪で開催。大社町と近畿・大社会のメンバー50人が参加して交流を深めた。

平成3年(1901年)5月11日(土)・12日(日)。第2回交流懇親会は郷里・大社町で開催。近畿から21人が参加して地元の大歓迎を受けた。双方合わせて100人を超える人々が一堂に会し交遊の場を広めゴルフ大会も36人が集まる盛況さだった。

第3回総会。平成2年(1990年)6月10日(日)。第3回総会は大阪ターミナルホテルでゲスト歌手・島路陽子さんを迎え、約200人が参加した。改選人事については全員が留任したほか副会長を若干名とし新たに事務局長制度を設け、副会長には永見英次と佐々岡富子、事務局長には土江弘二が就任した。 懇親会には町長・県議・佐川安弘県大阪事務所長・伊藤清関西瑞穂会会長・宇佐美晶中部いなさ会副会長・大社町商工会・青年会議所の若手メンバーら多数が顔を見せ、落合祐一町議の万歳三唱で打ち上げた。 またこの年、廃線となった大社駅舎を表紙にした会報第2号を発刊した。

第2回総会。平成元年(1989年)9月2日。昭和の年号が消えた、平成元年度の初総会は前年同様、ホテル・ドウ・スポーツプラザで開催された。みんなで楽しむ大社町民の集いの唄い文句どおり、三度目の集いという、気易さも手伝って参加者も250人を超えて、大変な賑わいだった。 大社商工会・山崎勇副会長の乾杯の音頭で始まった懇親会では、すっかりお馴染みとなった古川町長の大社神謡を皮切りに地元・安来節保存会の名調子。さらには荒茅音頭が飛び出すなど最高潮ー。 各町内ごとや思い思いの友人との記念写真会等も和やかに運ばれ、約2時間半のつどいを顧問・中山敬造氏の万歳三唱で締め括った。 なお、1989年度・会報創刊号が顧問・常任幹事の協力で発刊され好評を博した。

第1回総会。昭和63年(1988年)9月23日。大阪市南区のホテル・ドウ・スポーツプラザで、晴れて第1回近畿・大社会の結成総会を開催した。当日は古川町長、手銭長光県議を始め町議会の正・副議長、町三役ら14人。更に郷土芸能・大土地神楽の山本会長ら15人、合わせて29人が参加して錦上花を添えた。 近畿での参加者は会長以下250人(会員500人)。実に280人の大参加者で、さしもの大ホールも埋め尽くされた。総会では小村会長が議長となり、会の正式名を「近畿・大社会」としたのを始め会則、役員案等がすべて承認された。 このあと古川町長の神謡を皮切りに、勇壮なる古代神楽が披露されるなか、楽しい懇親会となった。 また、ホテルのロビーでは大社名産の野焼きや、わかめの即売会等が人気を呼ぶなど、すべて大盛況。記念すべき第1ページを飾った。

昭和63年(1988年)7月23日。会長指名の常任幹事候補を招集、大阪市北区の島根ビルに17人が参加して第1回目の幹事会を開催した。提案事項は第1回総会の開催時期・場所の設定を始め@会名A会則B役員選出C名簿作成を協議、事務局を日刊スポーツ新聞社内に置くことを決定した。

昭和63年(1988年)6月25日。小村多一氏(正門西出身)が発起人となり、近畿いなさ会のメンバーを始め、大社出身の方々に、幅広く呼び掛け、発起人総会を開催した。 当初は、30人程度の参加を予想していたが、日毎に希望者が増え続け、総会当日には、なんと100人を軽くオーバー。急遽会場を変更。若月宏之氏が勤務している大丸百貨店・ファミリーレストランで、112人が参加する盛大な総会となった。 この席上、司会者の川上寛佑氏(宮内出身)の提案で、発起人代表の小村多一氏を満場一致で会長に推薦、初代会長が誕生した。

発起人総会。昭和62年(1987年)9月20日。近畿島根県人会の会場で、古川百三郎・大社町長と近畿いなさ会会長の小村多一氏が同席。大社会(仮称)の結成について同意、準備段階に入る。