神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
大社町内杵築地区の誓願寺 |
<杵築地区> |
誓願寺 大字杵築西 宗 派 浄土宗 松林山 神門寺(出雲市塩冶)末 本 尊 阿弥陀如来 文 化 財 町指定絵画 紙本著彩虎図襖(二面)・紙本墨画竜図襖(二面) 由 緒 「宝暦十四年「神門寺末寺又末庵書」によると、もと、不断堂という辻堂があり、道心者が居住していたが、 天正年中(1573〜92)石見銀山より慈哲という僧がきて、寺として御輿し、寺号を誓願寺とつけた。 その後、寛文年中(1661〜73年)現在地より少し北に移建したという。 さらに安永八年(1779)大伽藍が建立されたが、文化十二年焼失したので、天保二年(1831)二十二世性誉上人のとき再建され、現在に至っている。 国造五十二世義孝の後室がこの庵に住み、不断堂となづけた。しかるに、天正十年(1582)石見銀山より慈哲という道心僧がやって来て、この庵に住んだ。 慈哲は大金三百二十貫を持って京都の本山に願い出、和尚住居寺として松林山誓願寺の寺号を許可された。天正十七年に至り、本堂・庫裡を建立した。よって慈哲を誓願寺の開祖とする。 その後、寛文の出雲他紙や造営にあたり、仏教造りの庁ノ屋をもらい受け、寛文八年(1668)今の寺地へ本堂・庫裡その他を建立した。ところが、文化十二年火災により一切を焼失した。 末寺は安養寺・西方寺(廃寺)・清久寺(廃寺)・永徳寺(廃寺)・所讃寺(廃寺)の五か寺がある。 |
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