神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
大社町内杵築地区の神光寺 |
<杵築地区> |
神光寺 大字杵築南 宗 派 曹洞宗 不老山 総持寺末 本 尊 釈迦如来 文 化 財 由 緒 悦堂常喜を開山とし、貞治年中(1362〜68)の創建と伝える。はじめ修理免の弥山から十四、五町も山奥に堂舎があり、 出雲国造家の帰宗を得て、仏道霊場として栄えた。 悦堂常喜は京都の人。十四歳で天竜寺に出家、のちに播磨の曹洞宗永沢寺(兵庫県三田)の通幻寂霊や伯耆の定峰良秀に参じ、実峰の法を嗣いだ。 十二世玄誉和尚の天正年中(1573〜92)、洪水山崩れのため堂塔伽藍が崩壊したので、山麓(現在、子安寺のある場所)に移転再建された。 元の地を坊床といい、柱石や五輪石などが今なお残っている。 十七世元宅和尚の慶安元年(1648)六月、再び洪水にあい、伽藍等すべて流失した。 そこで、松江藩に願い出て、杵築大鳥居の東方の三角地を下賜され、自費開墾によって造営移転した。これが現在地である。 十八世風月和尚の代に、本堂・庫狸・禅堂・衆寮等が完成した。 二十二世月峰和尚の延享元年(1744)八月、大風のため山門が倒壊(以後再建せず)。翌二年十二月、火災のため、本堂・庫狸・禅堂など一切が焼失した。 その後、順次再建につとめ、二十五世雪山和尚の享和三年(1813)、開山堂が落慶することによって、ほぼ旧観に復した。 これが現在の伽藍である。衆寮は再建されていない。 なお、寛文の出雲大社造営にあたり、神域にあった一切経輪蔵(八角杉、堂は三間四面)を当寺境内に移築したが、明治六年六月、火災のため焼失した。 明治維新期には、神の字をはばかって一時心光寺と寺名を改めた。 当寺の末寺群は、潮音寺・法海寺・西光寺・西蓮寺・天徳寺(廃寺)・菩薩寺(廃寺)・聖財寺(廃寺)以上大社町杵築。荘巌寺(遥堪)・文殊院(鷺浦) ・妙相寺(斐川町)・薬師寺(出雲市高松)・観音寺(平田市猪目)等である。 |
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