神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
出雲大社の祭事・見逃神事 八月十四日 |
古くから伝わる神秘的な神事。昔は陰暦七月四日の深更、別火職が行っていたが、今は禰宜の一人が行う。 八月十日の朝より禰宜は斎館にこもり、本社相伝の火燧杵・火燧臼で鑽り出した忌火を使って調理した斎食をとる。 十一日の夕刻、稲佐浜で身を浄め、斎館に入って潔斎。十三日夜、道見と称して湊社・山辺神社(赤人社)・塩掻島をまわる。 これは翌晩歩く道順を一応確かめてみるためである。 いよいよ十四日の深夜(実は十五日の午前一時ごろ)、禰宜は素足に足半草履をはき、右手に青竹の杖、 左手に真菰の苞と火縄を持って本殿に参進し、祝詞を奏し終って神儀が始まる。 禰宜は大国主神に供奉するかたちで、一人で道見の順に廻り、塩掻島で塩を掻き、帰路、出雲国造館に行き、大広間の祭場をい拝し、 ついで大社本殿に参拝して終る。この時の塩は、爪剥祭のとき供える。 以前はこの夜、国造は家を出て一族の家に泊まることになっていたので、見逃げの神事という言葉が生まれたようである。 禰宜が廻っている途中で人に会えば、汚れたとして大社に戻り、再び出直すことになっている。だからこの夜、大社の町民は早くから門を閉じ、戸外へ出ないように慎んだものである。 明治二十四年(1891)、この神事を見たラフカディオ・ハーンは、「旧暦七月十一日に、「見逃げ」という妙な祭りがある」との書き出しで、くわしく紹介している。 |
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