神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
吉兆歌(船唄)について 吉兆歌(船唄)の発生について、中世以来港として栄えた宇龍(大社町)・加賀(島根町)の船頭が教え伝えたとする伝承がある。 寛永十五年(1638)松江藩に御船唄指南役が置かれ、代々の藩主の庇護奨励のもとに、折々の祝儀礼事には必ず御船唄が歌われた。 大社町における吉兆歌は、こうした背景のもとに取り入れられ、伝承されてきたと思われる。 藩の御船唄は消滅したが、町内に残る各地域の吉兆船唄は、序歌(はしほぎうた)を始めとして、すでに江戸期になって作詞された詞章、それに、明治以降に作られた詞章もあるから数は多い。 「序歌」は「ハシホギウタ」と称している。前段は必ず歌に長けた年長者の独吟とし、後段の後歌を全員がつける。いわば祝福の宣言である。 「新玉」は新年に限り、吉兆を立てての歌である。 「八雲立」は祭り・新年・上棟・婚礼などの儀式歌である。 特に、神前で歌うときは「神謡」という。楽器抜きで歌う謡である。このように「吉兆歌(船唄)」には祝福の気持ちが深く秘められ、いわばコトタマツケの儀礼歌となっている。 したがって、服装も式服、時に正月の吉兆となれば、神紋つきの肩衣を着けるのが古来からの風である。鳴物は鼕・小太鼓・笛、時には神前で琴を奏でるときもある。 |
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杵築の吉兆歌(船唄)
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<序祝歌(はしほぎうた)> めでたの それ若枝も 栄えるの 葉も < 新 玉 > 新玉の 年の始めの 初夢に くさなぎやまの楠木を 船に造りて今おろす 白金の柱おし立て 黄金のせみをふくませて みなわ手縄は琴の糸 綾や錦を帆にまいて 宝が島へのりこんで 思ふ寶を積みうけて こなたの蔵へ納めおく お祝 < 鶴 亀 > さて 今日の お祝いに 鶴亀の 松と竹 千歳も 万歳も さて その外は限りなし 代々御代を ゆずり葉の 注連を飾りて おん鏡 曇らぬ御代ぞ おもかげの 此のいつも常盤の若緑 栄え栄えて 國々の 島も一つに豊かなる これの御家も賑うて とざさぬ御代と なりにけり お祝 <八雲立つ> 八雲立つ 山は鶴山亀山の 間を流れる 吉野川 素鵞川の流れの その水を 神酒に造りし諸白を 神明に 捧げ 奉り それを人々戴けば 齢を延ばすためしかや お祝 |
日御碕
宇龍の吉兆歌(船唄) |
<めでたい節> (一)めでたいの 若枝も 栄える 葉も (二)注連縄のよわいなごれかれ七五三 裏白小袖は孫にゆずり葉のお祝え <ながそ節> (一)目出度いな祝え お目出度いよ 若枝も栄え 葉もしげる (二)山々にさいて見事そろうよ ふじ咲いて見事そろうよ <めでたい節) まづ正月の御祝に鶴亀に松よ 千才も万才もさてそのほかは かぎりない 代々ゆづり葉のしめかざり 大鏡曇らぬ先の面影に やよえ <浦めぐり出雲> さらさらと 宇龍の港を漕ぎ出す 主の神の教えかな この船に東北風をうけとりて 女島男島をはせ廻り 鷺の明神伏し拝み 加賀のくけとを眺めつつ 江角古浦を漕ぎめぐり 野波手結や多古瀬崎 雨も降らぬに笠の浦 関の明神伏し拝み 東は一つ緒かり浜の 千酌 網掛諸食の 日向御崎を走せ過ぎて 津々のあらしをうけとりて 名にしおいたる越前の 美久邇の川に納めおく 祝え めでたいの それ若枝も栄葉もえ |
鷺浦の吉兆歌(船唄)
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< 初 夢 > 年改まる初夢に きさらぎ山の楠の木を 船につくりて今おろし 白金の柱を押し立て 黄金のせびをくくませて 身縄手縄を事の糸 綾や錦を帆にかけて 宝の島へ乗込んで 数の宝を積みうけて そなたの倉へ納めおく 祝え < 初 春 > 初春の雪緋縅の消への中に 小桜おどしとなりにける また夏は卯の花よめ 垣出の水も洗川 秋は南天その色は いつも征に勝つ色よ 紅葉はあかうに錦川 冬は雪出の空晴るや はなやか身こそうれしけれ 兜の様子は菊の座に 思う仇をうちにとる 我名は高くあげまする 剣は筺に納めおく 弓矢は袋に出さずと 富貴の御世になりにける < 正月祝 > 千載も万歳も まづ正月の賑わいに 鶴や亀や松と竹 代々御代のゆづり葉の しめを飾りておかがみの 曇らぬ身こそおもかげの いつも今年は若みどりに 栄え栄うて国々の 島もひとつと豊なる 民の御家も賑ふて とざさぬ御代となりにける |
鵜峠の吉兆歌(船唄)
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<めでたい> (一)めでたいの 若枝も栄える 葉も あらたまの年の始めの初夢に きさらぎ山の楠で船を造りて今おろし 白金の柱を押し立て 黄金のせびをふくませて みなわ手なわは琴の糸 綾や錦を帆にまいて 宝の島へ乗込んで 思う宝を積み受けて こなたの蔵へ納めおく おめでたいぞよわか はえだもお おやあ 栄える はあもえいはえ (二)芽出たいの それ若枝も栄える 葉も 芽出た芽出たが重なるて 千も二千も一万も お芽出たいぞのよ若 枝も 栄える 葉も |