昭和の大社町風景 |
明治・大正時代から今日までの貴重な町内の写真を数多く掲載しています。古い写真をお持ちの方はご一報ください。
昭和32年
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1957年
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〇昭和30年代の稲佐浜、多くの船が浜に上げられていた。 〇岡本太郎(画家)、火野葦平(作家)出雲大社参拝。 〇大社町農業委員会新発足。大社、荒木、遥堪を全町1委員会に統合。 〇大梶保存会、島根県盆踊大会優勝、西日本盆踊大会優秀賞受賞。 〇日御碕中山地区で県外共同出荷をめざし、西条柿の栽培始まる。 〇町長不信任決議全会一致で可決、議会解散など町政混乱。町長辞任。 〇鵜峠鉱山(大宝鉱業)で天青石発見さる。全国で唯一の産地。 |
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昭和33年
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1958年
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〇大社教より貸与されていた幼稚園の建物返還。四月より再興の国学館に復す。
〇大社町立幼稚園、杵築南(市場新道)の現在地に新築移転。 〇「毎日12時より23時までいなさ浜でテレビが見られます。」の新聞折り込み広告配られる。場所いなさ浜小村亭で提供は出雲市中尾電機商会。 〇大社高校創立60周年記念式挙行。 〇第12回島根県中学野球大会で大社中学二度目の優勝。 〇荒木、恵美須神社性遷宮。 〇奉納山道路完成。31年着工し工事費用717万。 〇大社木工所(駅通り一区)土産物として「福こづち」の製造販売をはじめる。 |
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昭和34年
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1959年
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〇大社理容組合(会員15名)、一軒だけ先立って店頭にテレビを設置した同業者に申し合わせで当分自粛を申し入れる。
〇火事で焼失した出雲大社拝殿竣工奉祝行事。宇竜地区ダンジリ奉納。 〇第41回全国高校野球県予選準決勝第二試合、大社-大田戦の審判ジャッジとその処置をめぐり話し合いつかず、大社高校の放棄試合となる。 〇大社高校剣道部、全国高校剣道大会に連続六回出場の栄誉をたたえ、自動車による町内パレード。 〇武者小路実篤揮毫、北島家を通じ、大社中学校へ寄贈さる。 〇鷺浦モツグラに鷺浦灯台を建設、初点灯。 〇ジベ処理による種無しぶどう誕生す。 |
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昭和35年
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1960年
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〇大社さくらまつり。
昭和35年、外苑の宵ざくらは、ぼんぼりの明かりに映えて、ひときわ見事であった。 〇アメリカコロラド州スプリングスで開催のBS50周年記念ジャンボリー大会に日本ボーイスカウト代表の一人として大隅弘道(大社町)参加。 〇大社高校野球部、第42回全国大会出場。 〇大社中学二年高橋慶二、「カエルの研究」で第四回日本学生科学賞全国展に一位となり総理大臣表彰を受ける。 〇鵜鷺地区に初めてテレビがつく。 〇大社日御碕街道、中山におゆうの茶屋の碑が建つ。 〇昭和35年度大社駅乗降客45万人。 〇大社町人口、男9,517人、女10,664人、計20,181人。世帯数4,458。 |
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昭和30年代
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〇日御碕のろの千畳敷。
御座浜から遊覧船で客を運んだ洞窟は、涼風が吹き抜け、仮設の座敷では鮮魚料理にビールを傾けた。 |
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昭和30年代
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〇のろ内部。
娯楽の少なかった頃、町内での島行き(のろ行き)は、貴重な楽しみのひとつでもあった。 |
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昭和30年代
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〇外苑の桜。
出雲大社外苑は県下でも有数の桜の名所で、近在の人々でにぎわった。また、小学校の運動会も行われ町民に親しまれた。 |
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昭和36年
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1961年
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〇大社町合併10周年記念式典。大社中学校屋体で挙行、写真左上は制定された町章。
〇大社線、東洋膏板専用線新設。 〇大社漁協、日御碕、鷺浦、鵜峠の各漁協を吸収合併。 〇大社漁協に給油施設竣工。 〇日御碕中学校校舎新築。 〇出雲大社大祭礼期間中、大社中、JRC千五百人、全校生徒は毎朝出勤し大社境内の清掃作業、無料休憩所を設けて参拝客に湯茶の接待をなす。 〇県道湖北線の大社地内道路工事始まる。 〇大社高校野球部、第43回全国大会出場。(甲子園)昨年に続き連続出場す。 〇遥堪「荘厳寺」再見さる。西原「荒神社」正遷宮。 〇出雲日御碕灯台60周年記念式挙行。 〇中山地区の海岸にてはじめてワカメの養殖行なわる。 |
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昭和37年
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1962年
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〇荒木小学校、ねずみ駆除実施県民運動に貢献、県より表彰。
〇奉納山公園開園式挙行。大社菊の会々員75名、花いっぱい運動として、昨年と同じく奉納山に菊5千本を植える。 〇東洋膏板東京工場創業を開始。これに伴い第一(馬場)、第二(駅通り)各工場勤務の従業者、多数埼玉に移住す。 〇出雲大社大しめ縄取り換え。奉納者、広島県布野村、広島県作木村の農業従事者。材料稲束5千束、作人500人。 〇鵜鷺小学校体育館新築。 〇上遥堪、高浜川改修工事完成。 〇出雲大社社蔵、秋野鹿蒔絵手箱が国宝に指定さる。 |
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昭和38年
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1963年
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〇底引き漁船対馬沖で韓国警備艇に捕獲さる。田中船長ら乗組員12名の大半は宇竜、日御碕出身。
〇神光寺橋、鉄筋コンクリート永久橋に架け替え工事完工。 〇日御碕神社社蔵、「白糸威鎧兜大袖付一領」、国宝(新国宝)に指定さる。 〇えびすやユースホステルが神門前にできる。 〇日御碕と出雲大社、大山・隠岐国立公園に編入さる。 〇大社高校野球部、第45回全国大会出場。(甲子園) 〇町民盆踊り大会復活。 〇町立大社小学校開校90周年記念行事として町内パレード実施。 |
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昭和39年
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1964年
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〇「大社音頭」作成。作詞宮田隆、作曲長津義司、唄三波春夫。大社中学校屋体において、踊り(振付花柳多寿弥)と共に発表会開催。
〇有線放送電話施設竣工式挙行。交換手16名体制でスタート。 〇8月、勢溜にて盆踊りと大社音頭大会開催。 〇大和屋繊維産業株式会社大社工場を従業員150名をもって完全操業に入るべく大社駅東部に建設を始める。 〇山陰合同銀行大社支店、四ツ角に新店舗竣工。 |
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昭和40年
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1965年
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〇天皇陛下3度目の出雲大社ご参拝。
皇后陛下は初めてのご参拝。 〇古乃美教お国帰り30周年記念行事行なわれる。団体1200余名。 〇国立日御碕海岸、柏陵園を中心とした遊歩道1000メートル完成。 〇大社町体育文化センター新築工事着工。 〇この年の町内自動車数(二輪車)約1500台、(三、四輪車)約500台、運転免許者3855名。 〇国勢調査、男8,865人、女10,156人、計19,021人、世帯数4,554世帯。 |
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昭和40年
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1965年
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〇沖御前(弁天島)遷宮行なわる。
稲佐の浜から弁天島に仮橋を架けて、遷宮が盛大に行われた。仮橋には大量の大漁旗が建てられた。 |
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昭和41年
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1966年
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〇「日御碕レストハウス」オープン。
〇大社農業協同組合発足。町内の6農協合併し組合員数2,958名、耕作面積700町歩となる。 〇大社町役場新庁舎竣工。大社体育文化センター完成。 〇遥堪小学校は大社小学校遥堪小学校として発足。町議会で名目統合を議決したが遥堪全地区民の猛反対運動おこり、「大社・遥堪両校統合粉砕同盟」結成される。10月遥堪校、町立遥堪小学校に復帰。 〇四本松にアルファ食品株式会社創立。 〇大社郵便局を普通局に改定。 〇作家有吉佐和子、小説「出雲の阿国」取材のため来町。婦人公論42年1月号より3年に亘り連載。44年中央公論社より三巻刊行。 〇宇竜港防波堤灯台竣工。点灯。 |
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昭和42年
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1967年
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〇皇太子・同妃殿下の行啓。
初めて島根路においでになり、島根の自然や文化に触れるため、各地をご観察になられ、出雲大社へも参拝された。 〇荒木幼稚園新園舎建設。 〇県営日御碕有料道路建設工事着工。 〇川上繁一(小土地)没す。東京で昭和5年「島根タイムス」創刊。同年「東京大社会」の発起人となり同会を誕生させた。 〇島根県の明治百年記念事業の一つとして島根百傑がえらばれ、大社町では、千家尊福、北島全孝、千家元麿その選に入る。 〇大社小学校新校舎着工。 〇第一回町民音楽祭を体育文化センターで開催。 〇この頃、稲はで放火事件多く「大社町稲はで放火防止対策協議会」が結成された。 〇神門通り泉屋旅館から出火、全焼3棟、半焼2棟、焼失面積542平方メートル。 〇町営住宅、北荒木団地10戸完成。湖北線の舗装工事はじまる。 |
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昭和43年
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1968年
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〇大社中学校開校20周年記念式挙行。
〇大社高校体育館、プール竣工。並びに創立70周年記念式挙行。 〇国鉄大社線廃止反対期成同盟結成大会開催。 〇奉納山の於国塔26年ぶりに復元、除幕式挙行。 〇日御碕国民宿舎「眺瀾荘」竣工。 〇県営日御碕有料道路開通。出雲大社から40分かかったが15分に短縮された。 〇原町に町営住宅10戸完成。 〇大社町立図書館が市場南通りに移転。 |
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昭和44年
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1969年
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〇大社町立大社民俗館が開館。
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昭和45年
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1970年
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〇大社町第一次総合振興計画。
一、道路網の整備。 二、生活環境の整備拡充。 三、観光の開発整備。 四、産業の近代化。 五、教育水準の向上。 〇大社町人口、男8,539人、女9,811人、計18,350人。世帯数4,650. |
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昭和46年
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1971年
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〇大社町合併20周年記念式典挙行。
合併20周年を記念して「町民憲章」と町花「菊」が選定された。 「町民憲章」 わたしたちは、出雲大社のひざもとにあって、古代文化の伝統と神話の宿る美しい自然の中で生活している大社町民であることに誇りと責任を感じ、より明るく豊かで住みよい街をつくるために、町民憲章を定めます。 一、郷土の歴史と自然を愛護し、清潔で美しい町をつくりましょう。 二、教養を高め、若い力を育て新しい文化の町をつくりましょう。 三、きまりを守り、だれにも親切にして、住みよい町をつくりましょう。 四、健康に心がけ、仕事にはげみ、活気にあふれる町をつくりましょう。 五、すべての人のしあわせを願い、明るい平和な町をつくりましょう。 |
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昭和47年
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1972年
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昭和50年
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1975年
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〇大社町人口、男8,521人、女9,646人、計18,167人。
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昭和53年
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1978年
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〇「出雲阿国顕彰会」(初代会長長島賢)発足。
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昭和54年
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1979年
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〇大社町第二次総合振興計画。
一、豊かな生活を支える働きの場づくり。 二、自然と開発が調和した町づくり。 三、快適で安らぎのある暮らしの場づくり。 四、人間性豊かな人づくり。 |
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昭和55年
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1980年
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〇浜山に県営陸上競技場が完成。
〇浜山に県立大社高等学校新校舎が完成。 〇大社町人口、男8,611人、女9,592人、計18,203人。世帯数4,743。 |
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昭和56年
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1981年
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〇大社町合併30周年記念式典を町民体育文化センターで挙行。
〇県道松江平田大社線が国道431号に昇格する。 |
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昭和57年
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1982年
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〇皇太子・同妃殿下の行啓。
くにびき国体夏季大会の開会式のため、来県された際に、出雲大社に参拝された。 〇大社高校体育館で、くにびき国体のなぎなた競技、剣道競技が開催された。 |
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昭和57年
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1982年
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〇天皇陛下4度目のご来町、くにびき国体においでになられた際、出雲大社にご参拝され、
かねてから切望されていた日御碕へ向かわれ、日御碕海岸の自然を観察された。
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昭和60年
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1985年
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〇大社中学校、鵜鷺中学校が統合し全町で一つの中学校が発足。旧大社高校跡地に統合新校舎竣工式挙行。
〇大社町人口、男8,462人、女9,508人、計17,970人。 |
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昭和61年
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1986年
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〇浩宮さまのご訪問。
山陰地方の歴史や文化、風土をご勉学のため、初めて島根県を訪問された。出雲大社をご参拝になり、 数々の宝物を興味深くご覧になった。また、日御碕では、神社にある史料を熱心にご覧になった後、 自然参道を歩きながら、日本飼海の海岸美を楽しまれた。 〇島根ワイナリーが完成。 |
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昭和62年
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1987年
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〇第三次総合振興計画承認。(昭和70年を目標)
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昭和63年
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1988年
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〇町の木としてクスノキが選定される。
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