明治45年 大正元年
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1912年
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〇大社駅所在地論争。いよいよ大社線敷設は決定したが、駅所在地を巡って、馬場附近住民と市場附近住民が各々、誘致運動に乗り出した。
折しも時の鉄道院後藤新平伯が出雲大社に参拝し勢溜の高所から東南方を俯かんし、双方に便なるよう両地区を底辺とする正三角形の頂点にした方がよかろういうご宣託で現位置に決定したと伝えられている。
〇大社駅から出雲大社に向かう人力車の列。大社駅開業当時、人力車約50台が営業の許可を受け、輸送のみでなく、神社、観光地の案内も兼ねていた。
〇丸三商会、大社町で初めて自転車業を開業 〇大鳥居町内の若戸主連中が、勢溜に大社物産陳列所を開設
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大正2年
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1913年
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〇稲佐の浜に開設した大社教育水族館
○神門通り開通 ○神門通り開通により、川端、四本松線開通
〇鵜峠鉱山で、石膏採掘始まる。
〇鉄道開通と共に帆船による海上航路は中絶となり、港は日に日に衰退の一途を辿っていった。
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〇大社水族館前での記念撮影、大人も子供も盛装で、当時の風俗がうかがわれる。
〇大正のはじめ、松浦甚之助(四本松)京都を旅行中、この地方にあった「土天神」にヒントを得て、
みやげ品「福神面」をはじめてつくる。
〇大正2年中杵築宿泊人数38,283人。
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大正3年
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1914年
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〇建設中の大鳥居。
○堀川に宇迦橋が架される。延長58m、幅車道6m余り、歩道(両側)1.8m余りの全幅9.7mであった。
〇鵜鷺小学校、現在の2階校舎を改築。 鷺浦にはじめて電話開通す。
〇大正3年中杵築町宿泊人数33,867人。
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大正4年
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1915年
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〇大正天皇御大典を記念して、高さ約23m、柱周り約5.5mの鉄筋コンクリート製の大鳥居が実業家小林徳一郎氏の寄附で建設された。写真前列左が寄贈者の小林徳一郎氏。
〇杵築町の徴章、亀甲に大の字設定。
〇杵築町人口、男2,402人、女2,402人、計4,852人。戸数995戸。
〇大正4年中杵築町宿泊人数28,650人。
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大正4年
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〇杵築海岸の小土地海岸
大正四年(1915)五月一日、小土地の恵比寿神社のご神体を、幕島まで船旅させる御旅神事のにぎわい。
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大正
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〇青江の浜と経島。経島には経島神社があり、日御碕神社の聖地として古くから祀られている。また、この島は、うみねこが繁殖することでも有名である。
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大正
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〇海から日御碕神社一の鳥居を望む。
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大正4年頃
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1915年頃
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〇旅館「養命館」。 〇明治時代にイギリスから日本に帰化したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、稲佐浜海水浴場で海水浴を楽しみ、ここに宿泊した。小泉八雲の「八雲」は出雲の枕詞の八雲立つからとったと言われる。
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大正5年
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1916年
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〇大正時代の稲佐の浜での海水浴風景
〇宇迦橋の大鳥居竣工、宮内前より稲佐の浜に通ずる観光道路開通
〇鵜峠鉱山、久原鉱業株式会社(後年、現在の日本鉱業)となる。
〇遥堪地区に電燈はじめて取り付けらる。
〇大正5年中杵築町宿泊人数29,911人。
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大正6年
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1917年
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〇皇太子殿下(昭和天皇)、出雲大社に御参拝
〇出雲大社勅祭礼社に定めらる。
〇島村抱月の芸術座、松井須磨子主演「復活」を杵築、大鳥居の芝居小屋で公演。
〇杵築中学野球部、鳴尾球場での第3回全国中学野球大会(現在の全国高校野球大会)に出場。
〇鵜鷺村に電灯つく。
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大正
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〇永徳寺坂下の常夜籠
この常夜籠は杵築港の常夜燈として設けられたもので、ここは、もともと大土地永徳寺坂下と言われていた。
〇大正6年頃より日御碕における発動機船漁業始まり、一時は非常に盛んで遠く、対馬、五島方面まで出稼ぎ漁業者もあった。
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大正7年
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1918年
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〇大社教杵築幼稚園が開園
〇左の写真は大正7年(1918)の第一期生の入園式風景。 場所は、現在の大社町老人福祉センター(四つ角)にあった。
〇小林徳一郎氏寄贈による松樹280本を並木として神門通りに植樹。
〇杵築幼稚園開園式挙行。(場所は四ツ角で後年大社町立幼稚園となる)
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大正中期
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〇参道松並木参道の両側は水田であったが、神苑の拡張により埋め立てられた。背景に弥山が見える。
〇馬場神光寺門前の金比羅さんの祭りに、馬場の子供たちは、荷車をひいて町内をまわり、各家より薪をもらい、それを神社の前で「さいと」を焚いた。
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大正8年
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1919年
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〇杵築町役場新築。 現在のAコープ大社店(本町)の場所に新築された。
〇日御碕尋常小学校、運動場を新設。
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大正9年
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1920年
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〇大正期の杵築中学。
〇日御碕に電燈架設さる。
〇郡立杵築実業学校設立。
〇北山における鹿の捕獲を禁止さる。
〇杵築町人口、男2,265人、女2,462人、計4,727人。戸数1,030戸。
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大正10年
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1921年
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〇松並木も整ってきた神門通り。
〇宮内、大社駅間に定期バス運行開始。
〇大社車夫組合と自動車会社との間に争議起こり、車夫等自動車の通行を妨害する。
〇この頃、杵築町の人力車数55台位。(明治以来最高)
〇出雲大社神苑会創立。(神苑工事準備開始)
〇杵築中学野球部、第7回全国大会(鳴尾球場)に出場。
〇鵜峠の石膏、馬方によって運ぶようになる。
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大正10年代
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〇海浜でのぼうふう採り
以前は、稲佐浜から湊原にかけての砂浜で、浜ぼうふうは採れた。
〇千家尊有、ハワイ旅行の際、麻雀を見て帰国後、大社町ではじめて麻雀をはじめる。
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大正11年
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1922年
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〇経島がうみねこ繁殖地として、国の天然記念物に指定
〇日御碕郵便局で電話事務開始す。
〇不老館(宇迦橋南詰)鉱泉噴出する。高さ20メートル余り。
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大正12年
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1923年
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〇神苑工事起工奉告祭のにぎわい。出雲大社境内拡張、神苑設置に着工。
〇大社ー日御碕間の郡道「日御碕線」完成す。
〇郡立杵築実業学校を県立に移管し、島根県立杵築実業学校と改称。
〇杵築地方で初めて実業団野球大会開催。出場チーム、金星(中村)、木工(四ツ角)、みどり(奥小路)、鉄血(四本松)、下組(福間印刷所)で優勝は鉄血だった。
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大正13年
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1924年
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〇大正13年2月に改築した和風造りの現駅舎。木造建造物の安定した美しさを誇っている。
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大正13年
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1924年
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〇「阿国座」「中村お国座」「行楽館」が相次いで竣工。
〇大社自転車組合、自転車宍道湖一周大遠乗会(合資会社丸三商会十周年記念を兼ねて160名を招待)を開催。(この地方のサイクリングの始まり)
〇県立杵築中学創立25周年記念行事挙行。
〇大社町ではじめて「オモト」が栽培される。奥一人氏(馬場)が、大阪商人のすすめで始める。「オモト」苗は1本60円〜5円くらいで当時の下宿料一日50銭だった。
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大正13年
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1924年
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〇行楽館竣工。(柳町近く)
大社に観光客が到着すると、まずここで演芸を見せ、その後分宿するという、観光を主とするもてなしのための施設であったという。最盛期は昭和7〜8年頃。
行楽館では、安来節・落語・浪花節を中心とした興行芸能が行われた。しかし、昭和30年代まであった遊郭の廃止とともに、行楽館の演芸も下火になっていった。
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大正末年頃
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〇町内で闘鶏熱高まり、シャモを飼育するもの多し、大鳥居勢溜で小屋掛けし、闘鶏大会も行われた。
〇漫画「正チャンの冒険」「正チャンとリス」など愛読され、町内でリスの飼育が盛んにおこなわれた。また、十姉妹、セキセイインコの飼育も流行した。
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大正14年
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1925年
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〇杵築町と杵築村が合併し大社町となる。
〇郡道大社・日御碕線に自動車開通。
〇大社町人口、男4,498人、女4,804人、計9,302人。戸数1,947戸。
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大正15年 昭和元年
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1926年
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〇島根県立杵築中学校を島根県立大社中学校と改称。 〇島根県立杵築実業学校を島根県立大社実業学校と改称。
〇60年振りの大雪積。(約1メ−トル)
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