神 話 の 出 雲 国・大 社 町 |
大社町の年中行事 |
毎年同じ歴日に、同じ行事を繰り返して行う周期的伝承行事を年中行事といいます。 |
第1節 正月行事 第2節 春から夏へ 第4節 秋から冬へ |
第3節 盆 行 事 盆は、仏教の影響を多分に受け、一般には仏教行事であるかのように思われるが、仏教伝来以前からの我が国固有民俗信仰に基づく先祖祭りで、
もともと正月に迎える正月さまも、盆に迎えるおみたまも同じ性格の祖霊信仰によるものであろう。盆と正月には多くの類似性が見受けられる。
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一、七夕の七日盆七月七日が、月と日が同じ数という重日(縁起のよい日)から七夕の名がおこった。七夕の七は祭壇の棚を意味し、夕は神降臨の標識である幟を立てることかららしい。旧暦七月十五日 宇竜地区のみんどう 旧暦七月十五日、荒魂神社前で行なわれる。念仏踊りの一種であり 鉦、太鼓に合わせて「ナミアミダブ」と唱え、悪疫退散を祈る。
七月七日 笹迎え 昔は六日に恵方に当たる旧家に赴き、七夕用の笹を迎えて、飾り付けをする。家では、笹と笹との間に横竹を支え、行灯やホオズキ提灯を吊るす。 お供えには、茄子・瓜・トウキビを準備し、中央にどんぶりに水を入れたものを置く。 翌朝洗面の際、どんぶりの水を少し注いで顔を洗えば、男はいい男、女は美人になるという。 つまり、瓜姫は美人で、その水鏡で洗えば器量がよくなるということかららしい。 七夕の早朝、娘や若がか(若い嫁)が、流下橋へ行き、髪を川水で洗う。七夕で洗うと髪の汚れが落ち、器量よしになるという。 この日、八歳の子供は、頭をばあず(ぼうず)にして髪をたてる。また、井戸替えをする。 水神に御神酒を供えて水を汲みだし、井側や井戸の底を綺麗に掃除をする。八日の早朝、子供たちが七夕の笹を灘へ流しにゆく。 七月三十一日 鷺浦の権現祭
八月七日 日御碕神社例祭
二、迎え盆八月十三日「盆さん盆さん、こなあかりに、ござっしゃい」と出雲地方で子供たちが盆さんをお迎えする念詞がある。盆さん迎えは、オガラで門のようなものを拵え、 ソメン・大角豆、中央にはほおずきを吊るす。また、茄子の馬を飾り、里芋の葉に団子や御飯をのせ、ミソハギの箸を添え、床間に飾る。 早朝仏壇に供えてあるハナノ木をさげて、墓へ行き、墓所を一巡して帰る。ミタマがハナノ木にさばっしゃる(つく)という。また、早朝でなければミタマが暑いからだともいう。 夕方迎え火といって、オガラで家型を作り燃やす。これを門火ともいう。宇龍地区では、花の木迎えといって、山から花の木を迎えてくる。ミタマはその花の木について来られるという。 八月十四日 宇龍地区では、夕刻墓前でミタマのトギをするといって、酒や精進料理を飲み食いし、遠来の祖霊と会食する風習がある。 三、盆 礼八月十五日子供たちの大きな楽しみで、各町内ごとに行う。年齢は十二歳くらいが隊長格で、四歳くらいまでの子供。男子は柿葉とりや、米一合を各家からもらい集め、女子は主に煮たき方にまわる。 庭に筵を敷き、おかずはアラメに油揚げと胡麻を入れたものと瓜なます。 また、茄子の煮つけなどで「庭飯をしましたけん」と柿葉に小豆の結飯をふたつとおかずをのせ、米一合寄進の家に仁義がえしをする。 帰って一同筵の上でオガラの箸を使って、ご飯を食べる。この庭飯にはお婆さん連中が手伝いもした。 この他、子供の死んだ初盆の家でも、ミタマの供養にごく限られた近所の子供たちが庭飯をした。 宇龍地区では、この日を「神の日」といって、寺参りを遠慮し、魚を食べ、餅を搗き、小豆飯を作り、家内中で祝う。 この日区民は身体を清めて、サイハイをつけた麦わら帽子を被り、荒神さんの広場や林神社の広場でミンドウという踊りを行う。 四、送り盆八月十六日
通り堂の地蔵盆 午後三時頃、西光寺から坊さんがきて、四本松南町内の人々が一緒に御詠歌をあげ、百万遍の「数珠くり」をする。通り堂の広場に柱を立て、小丸子提灯を吊るし、夕方から賑やかに盆踊りをする。 また、お参りの人々に籤引きをして、景品を出す。地蔵盆は子供が好きということで、子供のお参りが多い。地蔵盆をもって盆行事も終わる。 盆中、夕方から子供たちが「オシャガレ、オシャガレ」とわめき、オガラの灯を振り回し、町方と灘方が互いにけんかをしかけることがある。 同じく夕方から、子供たちがオカジョウキといって、船型、行灯型、鯛型の船を曳いて歩く。また、西瓜提灯といって、西瓜四つ切型の物を拵え、竹につけたものを持ち歩く。 五、町内の祭り八月三日、四日天神祭り。千家邸内。子供たちのお参りで賑わう。 八月六日 二位公祭り(御墓前祭)。松林寺の千家国造尊福公の偉徳を偲び、公の誕生日に当たる日を祭り日とした。 |
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